さごたに通信

2014年11月25日 06:51:57 カテゴリ: 未分類

これ、お約束よりもかなり遅れてます。そこで・・・取り急ぎ、先週末に書き上げて広島市教育委員会に提出し、暫定的に承認されている「後援事業の終了報告書」に添付した書面を、そのまま転載いたします。
これは、あくまでもお役所への「報告書」ですから、およそ「面白さ」とは無縁ではありますが、まあ、「公式の報告書」のフレーバーを味わっていただく(!)ために、ことさらに転載いたしました。

なお、挿入した写真3葉は、報告書原文にはなく、この記事用に挿入したものです。

「もちょいくだけたバージョン」については、このあと(できるだけ今日中に)書きます。

取り急ぎ・・・

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「江守博士の講演会+サイエンス・カフェ」実施報告書

「広島ハイパー・カフェ」は、これまでの2度のイベント(9・14、10・12)に引き続き、この度第3弾として、表記の講演会を実施した。その概略につき報告する。
〇 サイエンス・カフェ
日時:11月15日(土) 15時~18時
場所;広島YMCA国際文化センター3階中会議室
参加人数:約15名
(サイエンス・カフェの性質上、司会もスタッフも一般来場者と同等に討議に参加したので、あえて区別しない。)
概要:最初に、主催者光本 茂記の挨拶と演者江守正多博士の簡単な紹介のあと、演者が約1時
間にわたって基調講演を行い、今年の春に出されたIPCC第5次報告書(演者自身が、著者の一人)に沿って、いわゆる「地球温暖化」についての最新の知見について、わかりやすく解説し、それに引き続いて、参加者全員で、それについての質疑・応答、さらにかなり深い討議を行った。
2時間という長丁場ではあったが、それでも時間が足りず、終った後も演者を囲んでの熱心な議論が続いた。

サイエンス・カフェでのひとこま(前方司会席から後方を)

サイエンス・カフェでのひとこま(前方司会席から後方を)

〇一般向け講演会
日時:11月16日(日) 10時~12時
場所:広島市まちづくり市民交流プラザ マルチメディア・スタジオ
参加人数:約20名
概要:講演会の方の主催者である大西康史(環境コンサルタント)から挨拶、次いで全
体の責任者である「広島ハイパー・カフェ」理事長 光本茂記から演者の紹介がなされ、引き続いて、演者による基調講演が、約1時間にわたって行われた。
その後、パネル・ディスカッッション(パネリスト・江守正多、大西康史、広田独志、光本茂記)が行われ、来場者の主な関心事である「気候変動と異常気象、ひいては気象災害との関連」について、熱心な討議が行われた。

講演会(11・16)でのひとコマ。前方お二人の女性は、それぞれRCCとNHKの気象キャスターさん

講演会(11・16)でのひとコマ。前方お二人の女性は、それぞれRCCとNHKの気象キャスターさん

なお、この一般向け講演会については、広島のテレビ局2社から会場撮影と取材が行われ、さらにそのうちの一社は、演者をスタジオに招いての収録を行った。

RCCスタジオでの収録風景(11・16、講演終了直後)

RCCスタジオでの収録風景(11・16、講演終了直後)

なお、この時に収録された番組は、講演会場での収録や、他の映像と合わせて、11・21(木)放送の、RCC「イマなまっ!」で放送されました。その映像の中から、いくつか展示しておきます。なお、左は当日(16日)の夕方のTSSのニュース映像です。

なお、これらの2番組、および当日の生録、さらに23日に放映されたNHKBS1スペシャル「世界を覆う異常気象」(江守博士出演)を一枚のBD(ブルーレイ・ディスク)にまとめたものを準備中です。ご希望の方は、このページの「コメント」にその旨書いていただければ、無料でお届けします。

 

tss(テレビ新広島)の夕方ニュースより(11・16)

tss(テレビ新広島)の夕方ニュースより(11・16)

 

RCC[イマなまっ!」で放送された映像のひとコマ(11・21)

RCC[イマなまっ!」で放送された映像のひとコマ(11・21)

2014年11月23日 16:52:14 カテゴリ: 未分類

本日、わが高校の同級生の集まりが開催され、我らの恩師である林尚志神父様の傘寿(80歳)のお祝いをすることになっている。実におめでたい集まりである。

そこに出席するためにわざわざ東京から戻ってくる畏友T君に、宴会の1時間前に会って、「ソーラー発電」の相談をすることになっている。

それに先立って、小生がこの8月以来収集した情報を、「自らの体験」と「また聞き」とに分けて整理しておきたい。これは、現在東京にオフィスを構えてソーラーを本格的に事業としてやっておられるT君から専門的な情報を承ることによって、小生の意見がどう影響を受けるかを試してみたいこと、そしてついでに、今だからこそ発せれられる「ソボクな疑問」と「カゲキな質問」とを存分に「書きなぐって」おきたいという衝動に突き動かされてのものである。

1. ソーラーに関して自ら味わった辛くてアホらしい体験

ことの発端は、この4月から、ひょんなことから家庭教師で数学を教えている生徒さんのお家が電気屋さんであり、その「電気屋さん」(以下、固有名詞的に使います)から「ソーラーをつけませんか?」と誘われたことに始まる。

実は、それよりはるか以前から、わが草庵の前に広がる、かつて田んぼだったところで、今は哀れにも草茫々たる土地(合わせても、せいぜい800平米)が、もったいないなぁ~、いっそここでソーラーでも…と考えていたものだから、話はとんとん拍子。その時点で私とその電気屋さんの共通認識は「資金はなくても、ソーラーの施設を担保に金融機関が優先的に低利で融資してくれる」「事業用(10kw以上)だから30年間は一定の買い取り価格(2014年度は32円・・・詳細は後ほど)が保証され、初期投資は約15年間で回収できるので、残りの15年間は一定の収入が見込める」というような、我ら零細農家(しかも、それほど広いわけではないのにも関わらず、年に数度の草刈作業などで休耕田を持て余している)にとっては、言ってみればバラ色の計画であった。

ところが、実際にハナシを進めていくにつれて、当初の「バラ色」は次第に色あせて、しまいには「枯れたバラの花」になりつつある。

いくつかのファクターの内で、なんと言っても決定的だったのは「ソーラーの施設を担保に金融機関が優先的に低利で融資してくれる」の下りが、結果的に大ウソだったのだ。

まず最初に、その電気屋さんと取引のある信用金庫3社と面談することになった。いろいろと話し合っている内に微妙な温度差があることがわかり、中でももっとも条件がよさそうで、しかも「ソーラー・ローン」と銘打ったローンを設定しているH信用金庫(以下H信)に絞ってハナシを進めていた。途中で地元の最大手H銀行も是非に…と懇願されるので、その電気屋さんの顔も立てるために、しぶしぶ会ってみた。その結果はサンザンだったのだが、まあ、名門H銀行さん(小生のメインバンクでもある)の名誉のためにも、ここでは伏せてあげましょう。

で、そのいちばん脈のあるとみたH信さんに「融資申込書」を出して返事を待ってたところ、数日後に電話。直接会って愛想よく話してくれた若い行員さではなく、「融資調査課の課長補佐(?)」とか言う方から、いかにも威厳のある声色で「ダメです」のひとこと。理由を聞くが、なかなか答えてくださらない。それでも、粘り強く、しかも丁重さを保って追求すると、「年収が不足です。それに、不動産は確かに広いですが、田舎の土地は担保としては認めませんので」
「では、これから建設するソーラーの施設そのものは?」と畳み掛けると「ウチは、ソーラーは担保にしません。」と慇懃に、しかし冷たく言い放って、電話をお切りになった。

わが耳を疑った。そのH信だけが「ソーラー・ローン」というのをうたってるのに、それが「ソーラー施設を担保にしない」とは! とぼとぼと帰宅してから改めてH信のHPで「ソーラーローン」の下りを詳しく読むと、「住宅リフォームと同様の扱いです」と書いてあるではないか。すなわち、住宅やアパートの建築なら、その完成すべき建物を担保にとるが、リフォームだと担保にするものがない。つまり、ソーラーの施設は、たとえそれが何百万、何千万であろうと、「転売ができないリフォーム」と同じだ・・・という意味である。
(銀行の人って、なんと頭いい!・・・そういえばわが高校でもちょっと頭のいいのが銀行に就職したよなぁ~)

これが決定的な障害となって、わがソーラー計画は暗礁に乗り上げたままである。
そこで、本日専門家であるT君に直接・・・ということに相成った次第である。

実は時をほぼ同じくして、すぐ隣の家(といっても「限界寸前集落」のこと、直線で200mは離れている)のおじいさん(子供の頃からかわいがってくださっていた)が、私に相談をもちかけてこられたのだが、これがまさに「ソーラー」だった。
このところ、来年3月の「締め切り」(詳しくはのちほど)を前に、なんとかソーラーを売りつけて一儲けしたくてたまらない業者さんたち(その多くはパネルメーカーの委託業者)が、休耕田を持て余している農家に目をつけて、日本中をうろつきまわっていて、ご多聞にもれず、比較的広い休耕田と「立派な家屋」(これがポイント!)を所有するそのおじいさん(Hさん)が目をつけられたというわけである。

その業者さん(なんでもKセラの委託とか)は、実に熱心に通ってこられ、Hさん自身は、「やってみようか・・・」という気に半ばなられているみたいなのだが、なんせ奥さんと、それに一人っ子であるお嬢さんが同意しないのだそうである。ハナシを伺ってみると、小生へのハナシよりはかなり条件がいい。担保のことも話題に上らないのだそうだ。でも、それは私の場合も当初は話題にならなかったのだから…と、次に業者さんが訪ねて見えた機会に質問してもらうと、やっぱしというか、案の定というか、その「立派なお屋敷」を担保に考えていたことを白状あそばされたとのこと…怒り心頭に達したHさん、即座にお断りになって、奥様もお嬢様もほっと胸をなでおろされたとのことである。

2. ソーラーに関して、洩れ承ってる、さらにアホらしい(?)情報

・ 政権党である J 党(総選挙が近いそうで、このあたりの表現、注意しないとね,・・・いきなりオマワリさんに踏み込まれてもね…笑)はM党が政権党であった時に成立したこの「定額・一定期間買取制度」を内心では大層苦々しく思っており、原発再開への思惑もあって、できれば早期につぶしたいと考えている、特に現在のA政権はそうなんだそうである。それは、A首相の母方の祖父であるK元首相(とっくに故人)が、そもそも日本にゲンパツを導入した張本人であることと、たぶん無関係ではあるまい…いろんな政治がらみの「しがらみ」やら、ひょっとして「利権」やらも。

・ どの討論番組でも、「ソーラーつぶしたい」勢力の論者たちは、「40円(+消費税)は高過ぎる」とご批判なさる。しかし、40円とは、2012年度に開始した場合の買取価格であって、その後毎年4円づつ下がって、今年度(2014)に開始する新規参入者が受け取れるのは32円に過ぎない。初期投資やら償却期間を考えると、この「わずか8円」が決定的な差であることは、少しでもクビを突っ込んだことのある方なら、容易にご理解いただけよう。

・ これも、いろんな討論番組にありがちな議論に「大手業者の利益のために、ビンボーな庶民が月額300円以上も負担させられるのは不条理だ」というのがある。確かに一理ある。一理はあるが、私自身やHさんのように「零細農家の最後の生き残り手段としての、取るに足りない規模の参画希望者たち」のことは、意図的に排除されている。

・ (そこで、提言ひとつ)
九電や東北電などが、現在買取りを拒否(とは、彼らは言わず「保留」という。しかし同じことである)している相手を、そのような「大手」に限定して、例えば「100kw以下の小規模参入者は拒否しない」というルールでも検討なさったらいかがでしょうか?

まだまだ、書きたいことは山ほどあります。おそらくこれまで書いたことの10倍以上は。でも、ここらで閉じて、あとはT君との清談を俟つことにします。

2014年11月23日 04:29:44 カテゴリ: 未分類

「江守講演会+サイエンス・カフェ」についての正式の報告をここに書くとのお約束はちゃんと記憶しております。しかし今日は、それこそ「止むに止まれぬ」気持ちで、まったく別のことを書きます。

昨日駆けつけたチャリティ・コンサート(11・22、湯来温泉・湯来体験交流センター)のことです。
毎週土曜日は、原則朝から夕方まで仕事なのですが、きのうは、あえて午後から早引きさせてもらって駆けつけました…なんせ、妙先生、イタリアのルッカからご帰国後初のコンサートなのですから。

職場のある五日市から会場の湯来温泉までの約25キロ、愛車「さくら」を目一杯飛ばしたのですが、それでも15分の遅刻。すでに、吉野妙・宮本隆一(チェロ)の演奏は半ばを過ぎておりました。お二人のデュオには、10・24に東区民文化センター開催されたコンサートで既に接していたのですが、「地元」で拝聴する演奏は、また格別のものがありました。

吉野妙(ピアノ)・宮本隆一(チェロ)のデュオ

吉野妙(ピアノ)・宮本隆一(チェロ)のデュオ

その後、若いご夫妻による十三絃と尺八の合奏とか、中国舞踊とか楽しませていただいたのですが、圧巻だったのは、やはり、平岡麻衣子さんという、重い障がいを抱えてリハビリ中のピアニストの演奏でした。

正直、この方については昨日まで何一つ知らず、今日のこのチャリティへの数多くの出演者の中にこのような方が入ってらっしゃることも知らず、正直相当の衝撃でした。実は…この日、そのあと再び広島市内に出て、友人が共催しているある講演会にハシゴするつもりで、妙先生の演奏が終わって少ししたら会場を後にする予定だったのです。それでも、すぐに立ち去るのが名残惜しく、そのあとも客席の後ろに立ったまま色々と聞かせていただいている内に、この麻衣子さんの劇的な登場に釘付けとなり、すぐに友人に「サボり」の侘びメールを短く送ってから、じっくりと最前席に腰を下ろして鑑賞させていただきました。
(ここまでは、さきほどFBの「吉野妙さんのページ」に掲載させていただいたのと、ほぼ同じです)

 

その後、Wikiとかいろいろ調べたのですが、麻衣子さんの経歴については、どこにも記載がみつかりませんでした。司会の方のご紹介ですと、ウィーン(?)に留学中に不慮の事故に遭って…ということだったので、おそらくかなりのレベルのピアニストとしてのご留学中の事故だったのだと察します。その方が、数ヶ月の無意識状態から脱して現在も懸命にリハビリを続けながら、こうやってなんとか回復した左手で、一生懸命鍵盤をたたいていらっしゃる…かつては、もちろん両手で華麗に演奏されていたであろうピアノの鍵盤を!

わが身を振り返ってみますと…6年半前に自ら起こしたバイクの事故で左ひざを損傷、3ヶ月入院のあともしばらく松葉杖の生活を余儀なくされ、それでも必死のリハビリで、約1年後には大好きな山登りもなんとか再開でき、そして3年後には、かつての記録の3分の2くらいのスピードながら、長距離レースにも復帰し…という「努力のあと」をヒソカに誇っていたものですが、このピアニストの方の努力の前には…全く頭の下がる想いでした。

重い障がいを抱えつつも、懸命に演奏なさる平岡麻衣子さん(左)

重い障がいを抱えつつも、懸命に演奏なさる平岡麻衣子さん(左)

妙先生との接触は、期間の長さ(30ン年)の割にはそれほど多くないのですが、そのたびに何らかの「大切なもの」を頂戴している気がします。例えば、10・12に共演させていただいたリサイタルでは…(以下省略)。今回も、このピアニストの方とのめぐり合いという、またしても大きな贈り物を、図らずも頂戴してしまいました。私がこれから生きていく残り少ない人生での大きな糧になることは、疑いの余地がありません。
平岡麻衣子さん・・・懸命のリハビリの結果、どこまで回復できるのか誰にもわかりません。それでも「かなりの程度」まではイケルものだと信じます。がんばって下さい。私もまだまだがんばります。共にがんばりましょう!

演奏が終った瞬間のあなたの笑顔、とてもとてもステキでしたよ。

2014年11月11日 02:54:57 カテゴリ: 未分類

(またもや、FB=フェイスブック=からのそっくりコピペです。最近、こればっかで済みません)

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今日も市役所生涯学習課で2時間!9日同様、スマホから『再びマッカッカなう」と題して投稿したのですが、掲載されなかったみたいですね…9日はう まくいったのに…どうも、このFB,「ある時にできた同じことが、別の時にはできない」現象が目立つ気がするのは、やはり小生が初心者だからなんでしょう か…。

それはさておき。
「今日こそこれが最後!」とばかり張り切って提出した書類ですが、またもや「修正要求」、とうとう3度目です(「3度目のナントカ」って、ゆーじゃないですか)。
この程度の修正なら…と、なんと課のテーブルに陣取って、愛用のタブレットで作業を開始したのですが、やはり「完成版」を作成するにはちと機能不足…「やはり、家のパソコンでキチンとやってきます」と、すごすごと退散したのであった。

庁舎前の駐車場で待っててくれた愛車さくらちゃんに戻って、その狭いコックピット(文字通り、鶏のケージ)再び深いため息、時計を見るともうすぐ5時。
あ、5時なら…と、突如ヒラメクものがあって、俄然明るい気分に!

「テレビ派」の生中継、これからパルコ前にいけば、まだ間に合うかも…と、さくらを駆って新天地の地下駐車場へ。
パルコ前についてみると、まだ生中継の準備中…間に合った!

そこでの、ライブ直前の緊張感あふれる描写は、いずれ自分の個人サイトで書くことにしますが、お目当てはもちろん、後半の「街角天気予報」(?)に搭乗する、ご存知大隅智子さん。

気づかれぬように…と、遠巻きにしてたのですが、前半の生中継(脳トレ?)でカメラから逃げまわっている内に、「あ、写ってしまった!」それが添付の写真です。やれやれ、若い頃のミーハー未だ健在也…だなぁ(嘆)

生中継カメラから逃げ切れず、しっかり写りこんでしまった、アヤシゲなおっさん8「テレビ派」映像より

生中継カメラから逃げ切れず、しっかり写りこんでしまった、アヤシゲなおっさん8「テレビ派」映像より

大隅さんの「生天気予報」無事に終わり(当たり前ですけどね)、急いでその場を立ち去ろうとすると、彼女、まっすぐに駆け寄ってきてくれて…どうやら、大 分前からお気づきになった様子。突然の「スター」からのご挨拶に、年甲斐もなくあがりまくってしまい、しどろもどろの受け答え…ひたすらあとすざりしつ つ、早々とその場を離れたのでした。

本番中の大隅さん(私のカメラで撮影)

本番中の大隅さん(私のカメラで撮影)

あ、一応、握手はしましたよ(照)

2014年11月10日 00:55:31 カテゴリ: 未分類

今月下旬から、いよいよ我が師匠となっていただくことになった吉野妙先生(そう、「先生」です!)が共演なさるタンゴのデュオ「ロス・チフラードス」のコンサートが、妙先生の本拠地「スペース蘂(しべ)」で、午後2時から行われることが気になりつつも、止むに止まれぬ気持ちで、8月の土砂災害の被災地である安佐南区に出発した。
支援ボランティアの受け入れが、そろそろ終るかもしれない、ひょっとしたら、この週末が最後かも…というウワサを聞いていたからである。それに、「そのついでに、この週末の連続講演会も宣伝して来ようか…」という、少々不純な(?)動機があったことも確かである。
本業が百姓なもんで、必要な道具はそろっている。被災直後の8月終わりから2,3度「被災地」に入っており、そのたびにそれらの道具を駆使して活動している…とは言いがたいが。
スコップにノコギリ、鎌、それに小型チェンソーから燃料まで積載した愛車WagonRを走らせること約50分、まずはボランティアの受付となっており、おととい(金曜日)に安佐北区役所で教えていただいていた安佐南区総合福祉センターに到着。

全く人気(ひとけ)がない。たしか0830から受付のはずで、既に10時近い。さては遅過ぎて、皆現場に出かけてしまったのか…と、恐る恐る守衛室で訊ねると、その返答に言葉を失う。
「昨日で閉鎖しました」 なんと一日遅れ・・・嗚呼!
やむなく、紹介されたすぐ近くの安佐南区役所4階にある「災害対策本部」を訪ねると、そこには職員の方が数人おられ、ていねいに対応してくださった。
「そのとおり、ボランティアの受け入れは昨日で終りました。それに、ここではボランティアの受付はしておりません。」
「避難所も全て閉鎖したのでしょうか…以前、梅林小学校に通っていたのですが…」
「梅林は閉鎖しましたが、まだ2箇所は開いてます」と、紹介された「佐東公民館」に移動する。

災害対策本部は日曜日でも動いていた

災害対策本部は日曜日でも動いていた

そこでも、やはり同様のことを言われた。このまま何もせずに帰るのも…と、あえて訊ねると、すぐ近くの「緑井霊園」という墓地の復旧作業にまだ何人か作業に入っているから…と、誰かに電話してくださった。しかし応答がない。しかし、とりあえずそちらに行ってみることにした。ついでに、「避難されている方や、お世話をなさっている職員の方がご興味あれば…」と、ポスターを置いて立ち去ろうとすると、受付の奥から出てきた職員の方が、ちらと一瞥されて、「あ、教育委員会の後援と書いてありますね。でも(申請中)ですか…申請はいつ降りますか?」「週明け早々には、たぶん…」と、一昨日(金)に担当の方から告げられたことをそのまま伝えると「じゃ、降りたら電話下さい。そしたら掲示します。」

安佐南区・佐東公民館。この日までまだ閉鎖されていなかった避難所2箇所のひとつ

安佐南区・佐東公民館。この日までまだ閉鎖されていなかった避難所2箇所のひとつ

緑井霊園の惨状は目を覆うものであった。8月終わりに訪れた梅林小学校上の住宅地の惨状もすさまじいものがあったが、ここは「墓地」であるだけに、凄惨さが尚更迫ってくる。それに、まるで当然かのように、ほとんど手がつけられてない。
ボランティアの姿はどこにも見えず、ただ大型の重機がうなりをあげている。入り口付近に中年の男性二人が墓の前に佇み、「はらそうぎゃてい・ぼじそわか…」と般若信経を誦しておられる。そして、すぐ脇の掲示板には「ボランティアの皆様、長い間のご協力感謝します、ボランティアの受け入れは明日で終了します」と張り出してあった。

DSC_3631

コンサートの開始時刻、その前に立ち寄るべき「佐伯区民祭り」の滞在時間を計算して、その場を出発、山陽道を飛ばして一路五日市へ・・・結局手作業はなんにもしなかった。したのは、あちこちの訪問、見物、それにポスター1枚を「預けてきた」だけだ・・・という忸怩たる思いを載せて。

(続く)