さごたに通信

2014年9月16日 04:38:01 カテゴリ: 未分類

講演会(ハイパー・セミナー)の日取りを914(日)に決めた時点でうっかり見落としていたことは、このあとの「ハイパー・セミナー at 広島国際会議場 ―50%の失敗と、50%の大成功―」でも書くのだが、中でも大きな見落としは、この「しわいマラソン」と日にちが重なっていたことだった。

しわいマラソンは2010年に始まって、今年が第5回目。その内、2012年の一度だけを除いて、ほぼ毎回応援やら伴走DSC_0006(内黒峠の今井淳)やらで参加している。つまり、私にとって年に一度の重要な個人的イベントなのである。「来年こそは、自らランナーに・・・」との決意を新たにするのだが、未だに、ただの観戦・応援者、せいぜいバイクやチャリでの伴走をしているだけである。応援と言っても、個人的な知り合いが出走したことは、これまで一度もない。

それでも、できるだけ欠かしたくなかった。たとえ、午後からの大イベントである「ネクストモーション・ハイパーセミナー」での講演者の一人という大役を抱えていたとしても。

04:30、まだ真っ暗な中を愛車コペンで出発、
(今、書いている時刻も偶然に0430、眠くなったんで、いったん中断、ひと眠りしてから再開します)

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一眠りしてたら、まる一日たってしまいました(笑)。現在17日午前4時半です。

続けます。

スタート/フィニッシュ地点の安芸太田町・温井(ぬくい)ダムに到着したのは、スタート直前の05:20。昨年までは、ダムの堰堤からのスタートだったのが、今年から上のフィニッシュ地点のすぐ近くまで変更されていた。選手諸君、スタートからいきなり、かなりきつい下りを堰堤まで駆け下りることになるのだ。

太鼓や花火(ヒヤ)が加わった華やかな雰囲気の中を数百名の選手たちがスタートしたのを見届けるや、すぐに愛車に戻り、最初の応援場所である10km地点(正確には9.7kmとか)に移動、すでに、警備の警察官の他に、応援者が数名。その中の1グループは、父親(見かけ70台)、娘、それに孫3人の家族だった。

「これの婿と・・・」と、その矍鑠(かくしゃく)とした老人(失礼!)が話しかけてこられた。

「もう一人の娘と、それに、バァさんが出とるんですよ。」

「えっ、ご家族から3人もですか?!」と驚いた。

その、少し複雑な家族関係は、こちらから再度問い返したほどだった。つまり、出走なさっているのは、そのご老人の奥様、娘、娘婿(別の娘のだんな)の3人で、ここでボクと一緒に応援に立っているのは、ご老人本人と、娘(出走している男性の妻)と、それぞれの娘の孫たち3人というわけです。まあ、読み返して理解なさろうとしなくていいです(笑)

改めて紹介するまでもなく、この、今年で5回目を迎える「しわいマラソン」、全長88キロ、しかも標高差854m、制限時間13時間(!)という、すでに全国的にも知られた、とてつもなく過酷な(「しわい」・・・地元の方言で「しんどい」という意味)レースなのである。その過酷なレースに、一家から3人も・・・と驚く私に対してそのご老人からさりげない一言。

「いや、私は、直前に脚のウラが痛くなりましてのぉ、仕方なく欠場になったんですよ。あ、ここに名前が載っとるんです」と、私の持っていた出走者リストを指差した。

この家族、タダモノでない。ちょっとこれから、Oさんという、ちょっと珍しい姓の3人のResultsを見てきますね、しばしお待ちを・・・。

見てきました。残念ながら、出走された3人ともDNF、つまり「途中棄権」でした。それでも、そのうちのお二人(お婿さんと、お母さん!)は、CP3(第3関門、62キロ地点)を、9時間を切っての通過タイムでした。しかもお母さん(おばあちゃん、「50歳以上」・・・ちなみに女性は、この「50歳以上」が最高年齢帯なのです。男性には「60歳以上」もあるのに・・・事務局さん、来年からご検討願いますね)のほうが「44歳以下」のお婿さんよりも、わずかながら速かったのです!オソルベシ、しわいのばぁちゃん!!!

・・・と言うぐあいに、個人的な知り合いが一人も出てなくても、そうやって応援地点で知り合った人たちと大いに盛り上がれるのが、この「しわい」の大きな特徴で、だからこそ、こうやってほぼ毎年欠かさず、たとえ午後から広島国際会議場での自らの講演を控えていようと、仮に万一、朝起きたら空からヤリが降っていようと、こうやってクルマを50分も飛ばして応援に駆けつけるのです。「いつかは、自分も走るんだ・・・」というヒソカな思いを抱きつつ。

(続く)

 

2014年9月5日 04:35:10 カテゴリ: 未分類

診察室を出、窓口で手続きを済ませて、1階の会計に下りていく長いエレベーターから見下ろす景色が、これを上がった時とはまるで違って見えた。妙に新鮮というか、色鮮やかというか、ひょっとして「画家の目」に、一時的に少しだけ近づいているのかな・・・とさえ思った。

ずっと以前に、誰からか忘れたけど、「絵を描くときには、対象が何であるかということを一旦忘れて(つまり「先入観」を捨てて)、そのモノ自体として観ないといけない」と言われたことがなぜか印象に残っていて、時折思い出していた。

その同じような感じ方を、今、この長いエレベーターの上から体現しているのかな・・・と、ちょっと思った。

*  *  *  *  *
「ガンでした、正真正銘の」
と、医者は冒頭であっさりと告げてから、やや間をおいて
「でも、腸壁の粘膜や、その下の粘膜下層、さらに下の筋肉層まで達しているかどうかは、今のところわかりません。それを再度確認するために、12月に再検査しましょう。」

それがガンであろうことは、お盆手術の当時から、いや、そのときよりはるか以前、7月に広島健康センターで診察のときから、それとなく示唆されていた。だからこそ、昨日9・4(奇しくも、恩師林尚志先生の80回目の誕生日)を「宣告の日」と捉えていたし、11年の禁を破って、思い切って東京とつくばを訪ねておいたことには、その要因もある。

数秒間の沈黙のあと、思い切って訊ねてみた。
「なぜ、すぐじゃなくて、3ヵ月後なんですか?」
8.14に執刀してくれたF医師は、なにやら難しい専門用語を使って答えてくれたが、にわかには理解しがたかった。私のにわか仕込みの乏しい知識に基づく理解としては、要するに、2週間もの時間を費やして精密に調べた切除した部分の内部だけに、その発見されたガンが留まっているか、あるいは残された部分にもあるのか、さらにはリンパなど、大腸の外部にまで転移してるのかどうかは、ある程度日にちを経ないとわからないから・・・というものだ。

(でも、仮にヤバイ状況にあるとしたら、みすみす3ヶ月も進行を許してしまうんでないの?)という質問は、呑み込んでしまっていた。

ともあれ、「宣告」が、さらに3ヶ月延期されたわけである。

それまでの3ヶ月・・・色々な予定を入れている。主なものだけでも・・・
9・14の講演会(広島国際会議場)
10・12の地元でのコンサート(いつか詳しく書きますね)
そして、11月には恒例の八王神社(やつおじんしゃ)の秋祭り、23日は林尚志神父様の傘寿の祝賀会・・・さらには、元の勤め先から、すっかり立派になった後輩Eクンを広島に招いての講演会

これらの準備の忙しさにまぎれて、この「延期された宣告の日」までをやり過ごすしかないのだ。

案外、どうということもなく、この3ヶ月は過ぎ去るのかもしれない。

(完)

(なお、写真を添付するとしたら、切除した患部と残された痕跡の写真がありますが、かなりキワモノなので、やめときます。またお叱りを受けそうなので(笑)

2014年9月1日 05:43:26 カテゴリ: 未分類

理由は、掲示板の「8・20のコメントを・・・」(8・27)に書いたとおりで、掲示板では、日にちがたつとどんどん「流れて」いってしまい、少し前の掲示に対するコメントが「埋もれて」しまうのを防ぐためです。
そこで、これまでの、「掲示板」へのコメントや、この「さごたに通信」へのコメントを含めて、ここにまとめてみました。
今後は、コメントの投稿は、ここに集中してくださるようにお願いします。
2014・09・01  ヒゲしげ爺

2014年8月30日 11:52:55 カテゴリ: 未分類

11年の空白を思い切って遮断すべく、思いきって東京、そして古巣のつくば(つくば研究学園都市)を訪ねた2泊3日の小旅行だった。

出発した27日(水)から夕闇せまる岩国・錦帯橋空港に降り立った29日(金)まで全て通して書くと、それこそいまだに終結をみていない「伯耆大山」の何倍かの量になろうかと、懸念されます。

そこで、まずは、印象的だった体験から、思いつくままに簡略に書き始め、最終的にはそれらがつながって旅の全貌が浮かび上がる…というスタイルにしようかと考えています。
まず最初は、標題に示しましたように、つくばを離れる前の最後のわずか1年余りを暮らした一戸建てアパートの訪問記です。

全くの偶然のいたずらでした。17年前の記憶はわりかしはっきりしていて、そのアパートは迷うことなく探し当てました。かなり草茫々となった道を進んで、いくつかの集合家屋の中からそれらしきものを探し当てると、一人の少年が家の前でひとり遊びしていました。
当初は、家の外観をスマホカメラで撮って、さっさと立ち去る…くらいに考えていたのですが、ここに、あきらかにそのアパートの住人と思われる少年に向かって、思いきって声をかけたのです。
「怪しいモノじゃありません。17年前にちょっとだけここに住んでた者です。お母さんはお家にいらっしゃいますか?」

少年は、少しためらった後、それでも母親を呼び出して引き合わせてくれた。(このヘンなオジサンと、ボクの大切な母親を、できれば係わらせたくないな・・・)という、息子らしい思いやりが感じれられて、微笑ましかった。

玄関に出ておいでになった母親は、少年とは対照的にとても気さくかつ社交的に対応してくださり、一時広島県のある小都市にお住まいだったこともあって、すっかりうちとけて下さった。「子供が5人もいますよのよ、ははは・内、下の二人は遊びに出てますけどね」。そういえば、先ほどからその最初の少年以外にも何人かが珍しそうに、入れ替わりのぞきに来てたのに気づいた。それがすべて男の子だったので、「ひょっとして5人とも全てぼっちゃんですか?」と訊ねると、「いえ、一番上だけが娘で高校生です。Mちゃ~ん、出ておいで~」

高校生の女の子なら、たいていは恥ずかしがって出てこないもんだ・・・と、半ば諦めていた矢先、あっさり目の前に現れてくれた少女はお母様に似た美形で、やはり母親譲りの社交性を発揮して、私からの不躾な問いにもテキパキと答えてくださった。

そのあと、子供さんたちも交えて、ここでの17年も前の、我々(当時は、一緒に暮らしてくれていた女性がいたのです、はい)1年足らずの暮らしについて語り、相手のご一家は、ここに引越しするまでのご主人の転勤についてお話くださり・・・で、すっかり時間も経ち、最後に写真を撮らせていただいた。

「この懐かしいお家を背景に撮らせていただいて、それをブログに載せたいんですけど、よろしいでしょうか?」

「いいですよ・・・ただし、表札とか入らないように配慮して下さいね。」

ということで、この写真である。

聡明かつ社交的なな母親に率いられた、明るいご家庭・・・今の私には望んでも得られない、その、恐らくは人生で最も貴重な境遇を、ちょっぴりうらやましく感じつつ、ちょっと離れたところに停めたレンタカーに戻った。

つくば市で最後に住んだ戸建てアパートにて

つくば市で最後に住んだ戸建てアパートにて

その家の前を通り過ぎるときに、皆さんが全員が、まるで私の通過を待ってくださっていたのかのように、大きく手を振ってくださった。

不覚にも・・・・落涙 → 嗚咽しながらの運転になった。

「また、ぜひ寄って下さいね、今度は連絡を下さってからね」という、お母様の優しいお言葉が、頭に渦巻いた。

2014年8月20日 06:03:45 カテゴリ: 未分類

一眠りしてたら、あっという間に九日たってしまいました(大笑)。

伯耆大山、記憶がまだ辛うじて鮮明なうちに書き続けます。

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その「不気味な予感」は、6合目を過ぎていよいよ山頂に近づいたころに的中し、「暴風雨」は、これまでの「下山者のメッセージ」や、それを元に構築したアタマの中のイメージではなく、正真正銘の現実となった。

特に9合目を過ぎて、高山植物保護のために設置された木道(もくどう)が現れてからが、雨風共にすさまじくなった。高山(といっても、せいぜい1700mくらいで、他の地域の登山者からは笑われそうですが・・・)特有の潅木に埋もれて進んでいくうちは、それほどの風当たりではないけど、木2014080513330000道の上にのってしまうや、ものすごい雨風(あめかぜ)にさらされ、それこそ木道に付設された手摺ロープにつかまってないと、この「メタボちょい手前」の私でさえ吹き飛ばされそうになる。いや、比喩的な意味でなく実際に。

「大山頂上 0.5km」の看板のあるところまでさしかかったところで、やむなく引き返すという苦渋の決断を下す。私は、一人暮らしの気楽な身の上、子供たちも自立しているから、まあ、どうなってもいい。でも、カメラマン(兼ドライバー)クンには、つれあいも、まだ独立していない子供もあるのだ。

それでも、カメラマンくん、その暴風雨の中でカメラを取り出して、私の勇姿(?)を写そうとする。たいしたプロ根性。「危ないからやめろ!吹き飛ばされるぞ!カメラが濡れてダメになるぞぉ!」という、被写体である私からの呼びかけも、声は風雨に消されて全く聞こえないものの、ジェスチャーでわかってるはずなのに、それでも2枚、3枚・・・と、一向にやめてくれない。やむなく、こちらもつられて、ポーズをとる・・・といっても、ひたすら手すりロープにつかまるばかりで、全く様にならない。

「大山山頂 0.5km」の看板付近の木道にて

「大山山頂 0.5km」の看板付近の木道にて

潔く引き返し始めた直後、いかにも無敵といったオーラをかもし出して山頂に向かう青年2人とすれ違う。「こんにちは、がんばってね、気をつけてね!」このにぃちゃんらは、この悪天候の中でも、いとも簡単に山頂に立ってしまうんだろうな…と、若干の(いや、かなりの)ジェラシーを覚えてしまう。

夏山登山道2合目付近の木道が美しかった

夏山登山道2合目付近の木道が美しかった

濃霧で視界の利かぬ急斜面の、しかも小石がごろごろして歩きにくい下山路を、ゆっくりゆっくりと降りる。すると、背後から人の気配が。

さっきの二人組である。「えっ、もう山頂まで行ってきたんですかぁ?」「いや、あの看板のところで諦めて引き返しました。」「あ、それが賢明な判断ですよね」内心では、この若者たちでさえ断念したことに、深い安堵と若干の勝利感(?)を味わいながら…しかも、彼らも我らと全く同じ場所で断念したのだ!

少し下ってから、さらにさきほどの6合目を過ぎてからは、ウソのように風もピタリとやみ、薄日さえさしてきて、相棒と「これからまた登るかい?」などど軽口を交わしたりしつつ、ドライバー君の愛車が待つ南光河原駐車場に戻った・

 

 

 

(続く)