さごたに通信
ワダチの後が全くない林道を、まるでラッセル車のごとく突き進む。積雪深は、浅いところでも10センチ、吹き溜まりでは優に30センチを超える。広い舗装道路から、狭い林道入って2~300m進んだところで、ついに全く進めなくなってしまった(写真)。
転回できるほどの道幅は無く、しかたなくバックでさきほどの広い道路まで引き返すしかない。深雪で路肩も定かならず、前進するのさえおっかなびっくりだったこの狭い林道を、バックで数百メートル・・・それを決意したときには、「幸いに谷はそれほど深くない。もし落ちても、この深雪ならケガすることもあるまい・・・ひょっとしてクルマだってほとんど無傷で引き上げてもらえるかも・・・」という心境になりかかっていた。
なんとか、広い道路までバックで到達したときには、有森裕子じゃないけど「自分をほめたい」気持ちでいっぱいだった。でも、その達成感に浸る間もなく、早速歩き仕度を整えて歩き始める。出発07:50、日の出の時刻を既に30分以上過ぎている。
今バックしてきた林道を、さっきクルマがスタックした地点をはるかに越えて、深雪をラッセルしないといけない。クルマの距離計から推
算して、登山口(つまり、通常はクルマがそこまで入れる)まで約3キロ・・・かなりの道のりではある。
0837、雪中行軍始めて約50分ほどで、ようやく大峰の頂上が見えてくる。その特徴ある頂上の形は、いつも見慣れたものだけど、新雪に覆われて普段とは違って見えるその端麗な姿に、深雪のラッセルで息も絶え絶えの苦境から、やや救われる思いであった。
(続く)
連載中の「厳冬期単独・・・」まだまだ続きます。
しかし、おととい(1・8 日曜日)に参加してきた標記の大会について、やはり記録しずにはいられません・・・ごく簡略に。
快晴の小春日和。絶好のマラソン日和に恵まれた、山口県の玖珂桜堤公園に、受付時間ぎりぎりの08:45ころやっと到着。わが草庵から、山陽道を飛ばして約70キロ、運転手兼、撮影係兼、荷物持ちの従妹Yちゃんを伴って。
9時過ぎからの開会式では、ベルリンマラソン第3位に輝く梅木歳雄選手(中国電力)が紹介されたあと、地元の中学生(?)ランナー小野さくら子さんが力強く宣誓。
開会式が終わって10キロのスタート時刻まで1時間以上、従妹と一緒に撮影ポイントを下見したり、ビデオ撮影の練習をしている間に、意外に早くスタート時刻の10:40に。
ほぼ最後尾からスタート、えらく複雑なジグザグコース(左の図)を、ただひたすらに走ること67分、目標にしていた60分を大幅に超える、実に情けないタイムで、なんとかフィニッシュラインをまたいだ直後、脚がふらついて芝生の上に転倒してしまったが、幸いに救護班が駆けつけるほどのことではなかった。
ようやく自力で立ち上がった直後に「これで全てのランナーがゴールしました」とのアナウンスが。じぃがゴールしてから・・・さあ、5分も経ってましたかね(笑)
「ランナー以外には、1万円もらっても出さない」という、貴重な無料しるこをいただくや、表彰式もそこそこに、「限りなくビリ」の老ランナーはすごすごとその場を後にして、一路郷里さごたにを目指すのであった。
まずは、左の写真をごらん下さい。地元の秀峰大峰山(1050m)を、登山道の途中から仰ぎ見たものです。澄み切った冬の青空、木々の枝々をフンワリと飾る雪の純白・・・やはり、山は「冬の、しかも厳冬期のモン」です、しかも、できれば「単独行」が良いです。
しかしながら、山頂までたどり着くまでの長い長い雪中行軍(!)、そして下るときの苦労は、並大抵なものではありません。加えて・・・昨日の単独登山の場合、やっとのことで下山して、待ち受けるわが愛車にたどり着いてからのひと騒動・・・というオマケまでついてしまいまして・・・。
いや、またもや長い長い文章、「続く」の連続で皆様を悩ませることになりそうです。途中での、そしてもちろん、やっとたどり着いた山頂からの写真も、たっぷりとちりばめる予定ですので、ご期待下さい。
* * * * *
きっかけは、元旦の「白木山ご来迎登山」失敗でした(この直前の「さごたに通信」ご参照あれ)。その後、いわゆるリヴェンヂの機会をうかがってたん ですが、おととい5日は午前中快晴の予報、これなら「4日遅れの(!)初日の出」が見られるかも・・・と、今度は遠くの白木山ではなく、通常なら車で約 30分で登山口までたどり着ける、地元の秀峰大峰山の頂上を・・と、午前4時から起き出して準備したのでした。
草庵を出てから約40分、通常の無雪期ならとっくに登山口まで着いてる時間をかけて、やっと廿日市市平谷地区を通り抜けて町外れの県道42号線に。予想通り、「冬季閉鎖」のド派手な電光掲示板(死語?)がオレンジ色に輝いてます。どうしよう・・・とりあえずは、愛機Konica-Minolta αSweet(重い重いデジタル一眼レフ)をザックから取り出して撮影。ここで引き返してしまえば、これが本日唯一の写真になるかもしれない・・「白木山での断念」についで、またもや「大峰山での断念」となるのか・・・しばし自己相克を繰り返した末、やっぱし「強行突破」することに。
(続く)
Dear my colleagues speaking and/or understanding English all over the world,
This is a New Year Message, as extracted from my Japanese message posted on the “Guest Book” on 1 January.
Although the biggest and most tragic incident which occurred during 2011 was no doubt The Eastern Japan Great Earthquake, the main news regarding myself could be listed as follows:
1. Thank God, I have almost completely recovered from the injury at my left-side knee, due to a motorcycle accident on 11 March 2008 (yes, exactly three years prior to the Earthquake!) After more than three years I could run in a 5km race at “Hiroshima Int’l Run for Peace” held on 3 November. Further, I plan to run in a 10km run for a small local race on this coming Sunday, 8 January.
2. I was blessed with getting acquainted with many nice people. I am deeply grateful not only to these people themselves, but also to those who provided me with such opportunities !
3. I cannot reveal what it is right now, but I plan to embark on a new “enterprise” due on April 2012. Please be looking forward to my first announcement, perhaps within a couple of months.