第3章 2次会にて
「一次会」は、いったんお開き。遠く東京や北海道(?)からもいらっしゃってたお客様は、この辺でお帰りになって、それでも2/3ほどはまだ残っていらっしゃった状態で、そのまま「2次会」に突入。
料理も進み、お酒も進み(地酒?の獺祭=だっさい=がよかった!)・・・で、次第に皆さん
の口と耳がゆるくなったころを見計らって、ボクもようやくひとこと。話し始めるや、肝心の林先生が軽く会釈をしてからトイレ?に立たれたのがちょっとショックだったけど、「こいつの、きっと長くなるに違いない演説をじっくり聴いてやろう」との暖かいご配慮であろう・・・と好意的に受け止めて、かまわずにしゃべり始める。
冒頭に「50年近く前にお世話になった生徒として、まずは、下関の皆様に「先生が大変お世話様に・・・」という挨拶から始めると、頃合よく戻ってこられたので、その「50年近く前」の、とっておきの思い出話を二つ、三つ・・・「川本君の講演に出てこなかったエピソード」として。最後は、これまで、先生を囲む会で何度かやった、得意の「タピオカ」で、締めくくる。
タピオカの話:先生との丸々2年間のお付き合いで、記憶していることは、モーレツたくさんあるけど、肝心の授業(なぜか、地理を担当されていた)の内容は、さっぱし覚えていない。唯一覚えているのがこの「タピオ
カ」で、先生が中1の授業で「オレが中学で受けた地理の授業で、唯一記憶しているのが『タピオカ』だ。」とおっしゃったこと自体が、私が林先生の授業で記憶している、これまた唯一の話・・というオチである。
その後の歓談では、地元の下関市立大学の学生さんと談笑したりした。写真のお二人(AさんとSさん、順序に意味はない。写真掲載承諾済み))には、ひょんなことから、私の次男の処女作品(漫画『初恋雀』)を郵送する約束を。
「下関から帰ったらすぐに・・・」と堅く誓ったにもかかわらず、1・30現在まだ送り出してない。今日中には必ず送りますので、待っててねぇ~。
当初から「気にな
る」女性の方がいらっしゃった。大城医師が今回の記念祝賀会の総責任者であれば、その「副責任者」ともいうべき、Kさんとおっしゃる女性(なんで大城医師が実名で、KさんはKさんなのか・・・特に理由はありませんが、ただなんとなく)で、本職はヨガのインストラクターだとか・・・。センターの入り口に「ヨガ教室」の張り紙があり、カトリックの施設でヨガか・・とちょっと意外だったが、まあ、この極めてエキュメニカルなセンター長だから、大いにありうること・・・と理解していたのだった。まさにこのKさんこそ、ここでヨガ教室を開設なさってる本人だったと
いうことが、名刺を交換して初めてわかった。「だいたい同い歳くらいですよ」とおっしゃるのが
信じられないほどの若々しさと、スレンダー・ボディに、チョーがつくほどのショートヘア・・・まさしく、「これぞヨガの先生」である。
一人の若い女性が立ち上がってスピーチされた。東京の「カトリック新聞社」から、わざわざ林神父の取材に来られていた、伊藤記者さんである(左の写真)。
伊藤さんは「20年以上前に、林神父からカトリック新聞に寄稿していただいた記事が基になっているのに、なぜ今回『岩波』からの出版なんだか、本社から調べて来いと言わ
れて、はるばる下関までやってきました」と、会場を沸かせた。
講演会場で、重たい高級一眼レフで頻りに写真を撮っておられて、ボクがビデオ撮影などでうろちょろして邪魔をしかたもしれない・・・と気づいて、ご挨拶の直後に名刺を差し出してご挨拶すると、「あ、今切らしてし
まったので、あとから郵送します」とおっしゃってくださった。そして・・・それから12日後の2月3日、ちゃんと彼女の名刺が送られてきた、そのときの取材で書かれた記事の掲載された「カトリック新聞」とともに。
その他に、1次会の始まった直後にお話させていただいた、阪大の松野教授と東京女子大の古沢教授(このお二人、夫婦別姓のご夫妻)、はるばる博多から駆けつけられた上智福岡中・高等学校の浦神父様とも名刺を交換し、このほかにも、実に多くの方々(ほぼ全員が初対面)との交流を、堪能させていただいた一夜であった。
さて・・・夜の帳(とばり)も降りて、いよいよ3次会である。
(続く)