11年の空白を思い切って遮断すべく、思いきって東京、そして古巣のつくば(つくば研究学園都市)を訪ねた2泊3日の小旅行だった。
出発した27日(水)から夕闇せまる岩国・錦帯橋空港に降り立った29日(金)まで全て通して書くと、それこそいまだに終結をみていない「伯耆大山」の何倍かの量になろうかと、懸念されます。
そこで、まずは、印象的だった体験から、思いつくままに簡略に書き始め、最終的にはそれらがつながって旅の全貌が浮かび上がる…というスタイルにしようかと考えています。
まず最初は、標題に示しましたように、つくばを離れる前の最後のわずか1年余りを暮らした一戸建てアパートの訪問記です。
全くの偶然のいたずらでした。17年前の記憶はわりかしはっきりしていて、そのアパートは迷うことなく探し当てました。かなり草茫々となった道を進んで、いくつかの集合家屋の中からそれらしきものを探し当てると、一人の少年が家の前でひとり遊びしていました。
当初は、家の外観をスマホカメラで撮って、さっさと立ち去る…くらいに考えていたのですが、ここに、あきらかにそのアパートの住人と思われる少年に向かって、思いきって声をかけたのです。
「怪しいモノじゃありません。17年前にちょっとだけここに住んでた者です。お母さんはお家にいらっしゃいますか?」
少年は、少しためらった後、それでも母親を呼び出して引き合わせてくれた。(このヘンなオジサンと、ボクの大切な母親を、できれば係わらせたくないな・・・)という、息子らしい思いやりが感じれられて、微笑ましかった。
玄関に出ておいでになった母親は、少年とは対照的にとても気さくかつ社交的に対応してくださり、一時広島県のある小都市にお住まいだったこともあって、すっかりうちとけて下さった。「子供が5人もいますよのよ、ははは・内、下の二人は遊びに出てますけどね」。そういえば、先ほどからその最初の少年以外にも何人かが珍しそうに、入れ替わりのぞきに来てたのに気づいた。それがすべて男の子だったので、「ひょっとして5人とも全てぼっちゃんですか?」と訊ねると、「いえ、一番上だけが娘で高校生です。Mちゃ~ん、出ておいで~」
高校生の女の子なら、たいていは恥ずかしがって出てこないもんだ・・・と、半ば諦めていた矢先、あっさり目の前に現れてくれた少女はお母様に似た美形で、やはり母親譲りの社交性を発揮して、私からの不躾な問いにもテキパキと答えてくださった。
そのあと、子供さんたちも交えて、ここでの17年も前の、我々(当時は、一緒に暮らしてくれていた女性がいたのです、はい)1年足らずの暮らしについて語り、相手のご一家は、ここに引越しするまでのご主人の転勤についてお話くださり・・・で、すっかり時間も経ち、最後に写真を撮らせていただいた。
「この懐かしいお家を背景に撮らせていただいて、それをブログに載せたいんですけど、よろしいでしょうか?」
「いいですよ・・・ただし、表札とか入らないように配慮して下さいね。」
ということで、この写真である。
聡明かつ社交的なな母親に率いられた、明るいご家庭・・・今の私には望んでも得られない、その、恐らくは人生で最も貴重な境遇を、ちょっぴりうらやましく感じつつ、ちょっと離れたところに停めたレンタカーに戻った。
その家の前を通り過ぎるときに、皆さんが全員が、まるで私の通過を待ってくださっていたのかのように、大きく手を振ってくださった。
不覚にも・・・・落涙 → 嗚咽しながらの運転になった。
「また、ぜひ寄って下さいね、今度は連絡を下さってからね」という、お母様の優しいお言葉が、頭に渦巻いた。