さごたに通信

2014年10月10日 05:03:40 カテゴリ: 未分類

 

Mr.Gordon Thompson (left) and Mr. Hiroshi Kawamoto

Mr.Gordon Thompson (left) and Mr. Hiroshi Kawamoto

久しぶりに英文で書きます。ちょっと急いでいるという事情もあるのですが、実は昨日午後ある友人が、妹背の滝のちょっと上でやってる「流しそうめん屋」を訪ね、そこにはるばる英国から来て滞在中の英国人老紳士と、3時間以上ぶっ通しでしゃべっていて、まだ「英語の余韻」が残っている…という背景もあるものですから。

[ Let me hereby write in English after several weeks’ interval…most probably because I am still dragging the atmosphere of chatting with Mr. Gordon Thompson, a nice British gentleman staying at my friend Hiroshi’s Restaurant upon Imose-no-Taki, for more than three hours long !]

* * *

Hiroshi, my friend at my age, who is running a cozy Soumen restaurant up above Imose-no-Taki (Imose twin waterfalls), had been continuously announcing to us, his merry comrades, the annual visit of Mr. Gordon Thompson, who had been regularly visiting Hiroshi for the past 40 years.

This restaurant is also functioning as a a kind of “secret hangout” of Hiroshi’s comrades equipped with deep curiosity and a little bit of intelligence.

Here is a long story behind Mr. Thompson’s annual visit, but,as it could easily fill up the whole page of this blog, let me skip to the Part II by only commenting that, not only Mr. Thompson (let me call his name in this quite British way instead of just saying “Gordon”, considering his dignity and…perhaps his honourable age: he is now eighty-seven years old), is visiting Hiroshi in Hiroshima, but also Hiroshi is, in return, visiting Mr. Thompson in London for the past forty years !

Part II

When I first met him yesterday, Gordon (why changed to American style? I don’t know…) introduced himself in a very gentleman-like manner. In return I did the same thing, by handing out to him a name card (Meishi) of my previous occupation, which I occasionally do for the persons who may not be able to read the Japanese version and who, of course, would be interested in m previous job.

Quickly reading my previous Meishi, he straightly looked at me, and asked “How did you find the national character of Thai people in the light of history for the past one hundred years ?”

I was very glad to have this sophisticated and philosophical inquiry only one minute after our first encounter. Yes, he is an authentic British gentleman with high education backgroud and intelligence, which I had not have heard from Hiroshi.

I had to satisfy his high-quality curiosity by dating back to the “regrettable”diplomatic relationship among Thailand, Japan, and United Kingdom at the era of WW II, beginning with the “Battle of Nakhon-Sithamarat”.

We discussed a lot…for such a long course of time, that I was temporarily afraid that this considerably ponderable (ponduous?) theme would prevail throughout my stay here up above the twin falls.

Help was Hiroshi’s visit to our garden table, saying “our lunch will be ready within ten minutes. Please come inside.” Yes, he speaks English fluently, because he studied English language in London about 40 years ago, when he home-stayed at the house of the Thompsons.

“O.K., let’s go inside…” I urged this aged gentleman, but he would not stand up until I could totally answer his second question “why do not Thai people hesitate in speaking English, but do Japanese ?”. I hesitated in continuing this discussion, considering that Hiroshi would be waiting for our entering the room, but I placed a priority to seriously facing with his earnest and very interesting question.

“I think it is rooted in the difference of characters between two peoples, I think that Russians and Japanese seem to have something in common, that…..” He seemed to sensitively respond to the keyword “Russians”, and intercepted my speech, stood up slowly, and started stepping into the restaurant.

この調子だと、またまた長文になりそうなので、ここらでやめときますね。まあ、ゴードン・トンプソン氏のお人柄を表現するには、ここいらまでで十分のような気もしますし。

 

 

2014年10月9日 04:50:00 カテゴリ: 未分類

マコトさん以下、総勢8名全員が拝殿に上がり、それから付き人ヒゲシゲが厳かに神殿の鍵を開けると、上段の高みに三双の扉が見えた。普段は一般の目に触れることのないこの三扉(さんぴ)、本日は氏子世話人・久保峰夫氏(ひげしげの、最も初期からの=おそらく物心ついてすぐの2,3歳からの=幼馴染。現在、働き者の奥様、イケメンのご次男と、彼の愛くるしい若妻を率いて中規模酪農を営み、マコトさんと共に「砂谷牛乳」の主要な担い手)から予め特別の許可をいただいていて「最長老のマコトさん自らの手でなら・・・」ということで、いよいよご開帳である。「ご神体の撮影は禁止ですので・・・」と、付き人から予め皆さんに、峰夫さんからの言明をお伝えしていたことは、申すまでもない。

静々(しずしず)と三つの秘せられた扉を厳かに開けてご神体の開帳を遂げたマコトさん、心静かに拝殿まで下ってから、皆に「ではご参拝を・・・」と促し、付き人の音頭で「二礼二拍手一礼」。

八王神社の拝殿にて

その「ご神体」の内容とは・・・これは、やはりここに記すのは憚られます。

ただ一点申し上げるならば、中に立てかけられていた木の標札(? もちろん写真は撮ってありませぬ)が気になりましたね。うっすらと文字は見えるよな見えぬよな・・・。

DSC_3146

まち歩きを終えて・・・マコトさんに語りかける映画監督のYさんと女優のMさん

 

 

 

まあ、こうやって神前に厳かに頭(こうべ)を垂れていただいたあとは、この神社にまつわる言い伝えやら、史実と思われることやら、はたまたご祭神の「八王」とは・・となり、話は自然にこの伏谷郷集落の水路の開鑿と、それによる水田の始まりに及んだ。マコトさんの弁舌、いよいよ滑らかに・・・それに付添い人ヒゲシゲが、ときどき合いの手やら、単なるチャチャやら・・・。

15分ばかりの滞在・参拝のあとは、全く打ち合わせのしてないアドリブの旅。やつぅさんでのトークの流れから、(それにチラシにも書いたことだし)その8人兄弟が力を合わせて敷設したとい水路の見物に。付添い人がシャシャリ出て、このほとんどフラットな(標高差の小さい)道路に沿った水路を敷設することの困難さについて、やれ当時の技術で水平はどうやって出したんかとかについての工学的解説を試みるやら、マコトさんはマコトさんで、「当時、暗くなるのを待って松明を水路予定地に沿って大量に焚き、それを向かいの阿弥陀山の中腹から見下ろしてコースを決めた・・・という逸話やらに参加者の皆さんからの質問も出たりして、この「まち歩きでの水路談義」けっこう花が咲いたのでありました。

さらに「むくろじ水」なる、まるで沙漠の涸川(ワジ)のごときフシギな自然水路を見たりして、帰りは往路の「かつての、草薮の通学路」ではなく、現代の舗装された車道を歩いて、再び集合場所の大森八幡に戻った。

駐車場についてからも、マコトさんを囲む輪は、なかなか解けることなく(特に女優さんとマコトさんの会話に、文字通り「華が咲き」、ここで付き人が気を利かせて、すぐ近くの「団栗亭」でお茶しよってこととなった。お急ぎのおひと方を除いてぞろぞろと移動。

ここでも、マコトさんの前に彼女が座ってくださって、を引き続き雄弁に耳を傾けていただき、コーヒー片手のアフター・トーク大いに盛り上がって、早くも5時に。

まるで、この「まち歩きその(3)」の残り香を惜しむように、7名それぞれに帰途に就いたのでありました。

(完)

 

 

 

 

2014年10月7日 02:51:45 カテゴリ: 未分類

今日の案内人「まことさん」の紹介も終えて、いよいよマコトさんご本人の登場、まずはご挨拶から。

ちなみに、この挨拶の文句はモチロンのこと、今日の案内について事前に相談して決めたのは「集合場所大森八幡から、かつての通学路の坂道を登って、八王神社まで」だけで、その後のコースを始め、すべてアドリブなんである。そもそも「まち歩き」なるもの、アドリブ(出たとこ勝負)でなくては、面白くないんである。

その挨拶の第一声、マコトさんは一体何から語り始めるのか・・・と、一同(付添い人である小生も)固唾を呑んでいると、まことさんは、何と「平和の尊さ」について語り、そして皆を、もと「砂谷小学校大森分校」であった敷地内に今も建っている二宮金次郎の石像に導き、そこで戦時中に受けた教育について批判的に紹介された。現在80歳になられるマコトさんがこの分校に入学されたのは、奇しくもパールハーバーの年(1941)であったことに、一同改めて気づかされる。

さて、いよいよ急坂登りへの出発である。そこで、ちょっとしたハプニング。ゲストの一人でいらっしゃる女優・モデルさんの足元を見たまことさんが、付添い人である小生に「この靴じゃぁ上がれんで、だれかに乗せてもろぉて先にやつぅさんとこで待っといてもらわにゃあ・・・」(翻訳、要りませんね?でも、広島以外の方には必要かな?)

やさしい。そして、きめ細かく気づく方である。さすがに我らのマコトさんである。

しかし、正直ちょっと困った。付添い人である小生が、その大役を引き受けて皆さんから離れるわけにもいかない。当然、みなの視線は、本日その女優さんをお連れ下さった「監督さん」に向いたのだが、問題は、そうしてしまうと、本日のメインコースである「大森八幡=往時の大森分校~八王神社」を、監督さんに体験していただけない。そこにわが委員会のメンバーである長老Fさんが、「ほいじゃぁ、ワシの軽トラでよけりゃあ、ワシが・・・」に対して、皆さんからの、ちょっとジェラシーの混じった視線が。すかさず、当の本人である女優さんの表情を伺った付添い人は、彼女がまるでためらった様子もなく、それを嫌がるような表情ひとつ見せなかったことを、目ざとく見取った。(この方はタダモノではない)と、心の中でつぶやいたのは、恐らくは小生一人ではあるまい。当然かもしれない、この方は「タダモノ」どころか、立派に「女優」さんなのだ。

ところが、Fさんは残念ながらこの集落の方ではないので、そこから徒歩で引き返す道をご存じない。もちろん、監督さんにもわからない。わかるのは、マコトさんと、この小生のみである。まるで「神父と黒ンぼの船頭(放送禁止用語ですが、あえてオリジナルを尊重します・・・笑)と猛獣(ライオン?)を1艘の小船で向こう岸に渡すパズル」の如く、ない智恵を絞った付添い人(つまり小生)は、「じゃあ、こうしましょう。監督さんの車に彼女(実際には実名を言った)を乗せて八王さんまで上がって、それに私も同乗させてもらって、彼女にはそこで(申し訳ないけど)待ってていただいて、私と監督さんは、今から上がる坂道を逆に下って、ここに戻ってきます。みなさんは、まことさんに付いて坂道を上がり始めていて下さい。」

その通りに実行された。その坂道を下った二人は、途中で残り5人と出会って、改めてその「かつての通学路」の草藪の急坂を登り、そして、彼女が一人寂しく待つ「やつぅさん」にたどり着いたのだった。彼女にそっと告げた約束の時刻よりも3分早かったことに、付添い人としては安堵したのであった。

(続く)

2014年10月6日 04:46:33 カテゴリ: 未分類

 

当初はこの5人(+撮影者のにぃちゃん)でした。このあと、委員会の仲間が助っ人(?)として2名駆けつけてくれ、総勢8名になりました。

当初はこの5人(+撮影者のにぃちゃん)でした。このあと、委員会の仲間が助っ人(?)として2名駆けつけてくれ、総勢8名になりました。

 

小生ヒゲしげ爺は、筋金入りの雨男(あめおとこ)なんだと、つくづく思う。

これまでに私が主催した、あるいは「ホンのちょっと関わっただけ」のイベントでも、たいていは雨を呼び寄せる結果になっている。古民家コンサート-1(2005・8月)、古民家コンサート―2(2007・5月)、伯耆大山登山(2013・10月、11月、2014・8月)・・・例を挙げればきりがない。

そして、今回の「古老が案内する湯来町まち歩き(3)」。前日からの天気予報では当日10月5日(日)は、この地域は一日中雨…しかも「非常に強くて大型」の台風18号接近中とあっては、雨・風ともに強くなって、とてものんびりと「まち歩き」どころではあるまい。

これは、カクジツ延期だな…と、来たる11・3に参加する「広島国際平和マラソン」に向けての毎朝のジョギングもやめて、次の日曜日(10・12)に開催する「たのしみコンサート」(↓の9・27の記事参照)に向けて、2時間ぶっつづけの猛練習をしてた。ふと、外見はオンボロながら眺めだけは抜群の「しげ爺草庵・貴賓室(兼スタジオ)」の窓の外に眼をやると、なんと雨はすっかり上がって、薄日さえ射し始めているではないか!

こりゃタイヘン、急いで今日ゲストの皆さんを案内する山道(かつての、伏谷分校(ぶんこう、意味わかりますか?)への通学最短路、約200m)の草刈を始めなくちゃ!

大急ぎで、朝食を掻き込み(おりしも、異常に早く収穫できた今年初物のマツタケご飯)、得意の草刈機を構えたのは、すでに10時近く…今日のゲストの方の内のおふた方と落ち合う約束の時刻まで2時間を切っている!

大急ぎで、その200mばかりの「かつての通学路」(今はすっかり草薮に覆われてる)を刈り、さらに今日の案内のメイン・スポットである「八王神社」(やつぅさん)の拝殿を掃き清め、さらに、今日特別にご開帳が許可された神棚の鍵がちゃんと開くことを確かめ…とやっている内に、約束の12時まであと数分になってしまっていた。

やばい!これから会うそのお二人というのは、いずれも初対面、しかもお一人はアマチュアの映画製作者、もうお一方は、その方が連れていらっしゃる女優・モデルさん(ワオ!)なのだ。風呂をして、ちゃんとこざっぱりした服装に着替え、セカンド・カーのペン子ちゃんに颯爽と乗って出迎え…という当初のプランが見事に打ち砕かれ、それとはまるで真逆の「汗まみれのヨレヨレ作業着姿で、まだ草刈機を積載したままの作業クルマ」に乗ったまま、約束の場所「団栗亭」に馳せ参じることと相成った次第である。

アマチュア監督さんは、想像以上に若くて知的なナイスガイ、そして、モデル・女優さんは、これまた想像をはるかに凌ぐ、やはり知性あふれる美形であった。

話は当初からはずみまくり、食事も終えて、今日のおふた方来訪の本来の目的である、「この地域のロケハン」に出かけることに。

お目当ての大上(おおうえ)牧場、そこは奇しくも今日案内人を務めていただく大上誠さんが経営する(もっとも、「社長」は、すでにご長男さんHクンなんだそうだけど・・・)牧場で、そこでは社長と、ついで母屋での昼食を済ませた誠さんが出迎えてくださり、あちこちと案内してくださった。

まち歩き開始まであと15分、そろそろ集合場所の大森八幡神社へ向かおうとするころから、とうとう、まるでガマンし切れなかっかのように、ポツリポツリと非情の雨。

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集合場所大森八幡神社にて熱弁をふるう、今日の案内人まことさん

あ~あ、今までこらえてくれてたのに、開始直前になって雨かよ!しかも、ただの雨でなく台風由来の雨なのだ。「延期…」という不吉な単語が脳裏を掠める。「傘がなぁいわ~けじゃぁ~ないけぇ~れど・・・」と「氷雨」のひと節でも歌うっきゃない(なんせ、7日後には「歌手デビュー」なんである・・・笑)

しかし、八幡さんへ到着したころには、雨もおろんなっとって(「こやみになっていて」の、さごたに弁)、すでに別のゲストの方がお待ち下さっていた。

案内人、付き人(この私メ)、そしてゲスト4名がそろったところで、「え~、本日は冷たい雨の中をようこそ…」とやり始めると、湯来町部会の仲間であるパン屋のおかみさん、そして長老Fさんも駆けつけてくださり、総勢8名でこの「まち歩き(3)、実際は2回目」がスタートしたのである。
(続く)