さごたに通信

2015年1月29日 07:03:26 カテゴリ: 未分類

昨日午後、湯来ロッジ(湯来温泉)に講演会を聴きに行きました(写真)
「湯来町の潜在資源は年間10億円相当の利益を生む可能性がある!」という、ちょっと夢のような話を、山梨県の限界集落での20年間の体験を元に展開なさって、まことにワクワクするようなお話でした。

講演会のチラシ

講演会のチラシ

でも、肝心の点についての説明が、時間切れのせいか(?)欠けていたと感じました。

1. 山梨県での20年間を経ての人口の増加は?
(最初に入られた白洲町ではそれまでの250人が3倍の750名に増えたということだが、その内の IーターンとUーターンの割合。後半の入植地「増富村」では、どうだったのか?ここ湯来町での最大の関心事は、「外から新たに移り住んで下さること」はもちろんですが、やはり何といっても「自分たちの子供たちが、将来戻ってくれるかどうか」にあるわけですから。)

2.「湯来町での10億円」は、具体的に誰のふところに入るのか?
(なんとなく、提携した大企業数社と講演者が設立された団体が利益を得て、反面、実際の作業する人は都会からの若者ボランティア(主にそれら企業関連の従業員)の手弁当であるような印象を受けました。「開墾」した農地や山林も。恐らくは地元に残ったお年寄りから「格安」で譲り受けたたものではないのでしょうか?)

旧・湯来町(現・佐伯区湯来地区)の概況。下の4行は、どの期間の額か不明

旧・湯来町(現・佐伯区湯来地区)の概況。下の4行は、どの期間の額か不明

休憩のあと40分ばかり「質疑応答」の時間があったのですが、こういう講演会ではよくあるように「あらかじめ決められていた」質問者からの「礼儀正しい」質問だけで、小生から上記のようなスルドイ(?)質問する余地がなかったのは、少々残念です。まあ、主催者(佐伯区役所)の事情を考慮すると、やむをえないことではあるのでしょうが。

会場を出てしばらく歩いていると、背後から年配の方のヒソヒソ声が聞こえました。「今のはなしゃあ、若いモンやら企業にゃあええ話かもしれんが、ワシらぁ年寄りにゃぁのぉ~」(今の話は、若者や企業には良い話かもしれんが、私たち年寄りにはなぁ~)
上記の懸念は、必ずしも私だけが抱いた「ひねくれた」感想でもないようでした。

まあ、これを読んで下さってる方の中には、この講演を聴いた方はいらっしゃらないかと思いますので、イマイチぴんと来なかったかもしれませんが・・・。

2015年1月26日 07:15:11 カテゴリ: 未分類

昨日の朝、急に思いついて伯耆大山まで往復して来ました。大したハプニングもなく、ただ次回の単独運転のための参考記録みたいなものですから、さして面白くないと思います。

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最近見たNHK-BSの番組「グレート・トラバース」に触発されてか、この時季の「雪に覆われた伯耆大山」をむしょうに見たくなり、朝になって急に思いついて「登らずに見るだけの一日往復大山行き」を計画した。一昨年以来これまで3度挑戦して一度も登頂を果たしていない因縁の山だけど、雪深いこの時季の登頂は、この私にはどだいムリである。これまでの3回常に同行してくれた「運転手兼カメラマン」君を誘ったが、夕べから体調不良とのことで行ってくれない。

延期も考えたが、週間予報や自分の今週の予定などを勘案して、それに「雪の大山を早く見たい!」という衝動にも突き動かされて、ついに単独での往復運転を敢行した・・・という次第。

急に思い立ったので、「せっかくの晴れかだら洗濯を・・・なぁに、18時までに帰り着けば、出しっぱなしでも大丈夫さ」やらなんやらで、出発は9時過ぎてしまった。

家から20キロ弱で西風新都ICから高速へ。このところ、高速はもっぱら「さくら」ちゃん(昨年8月に購入したダイハツ・コペンにつけた愛称。最近は「まおちゃん」とも呼んでいる))の出番で、大山での雪道に備えてやむなく駆り出した「トラにぃ」(ワゴンR、走行24万キロ以上、18歳の老体)で高速を走るのは数年ぶりである。しかも、今回は往復で軽く400キロを越える長距離高速ドライブ、ついこないだ「横揺れ」トラブル起こしたばかりのこのご老体、果たして大丈夫かいな…と、ちょっと、いや少なからず不安になる。

でも、いざ高速を走り出してみると、多少の横揺れと不安定感はあるものの、まあまあ走ってくれる。しかし、ドライバーも負けずに「ご老体」、高速に入って20分もせぬうちに、寝不足による睡魔に勝てず、安佐PAに入ってしばし仮眠をとる。

10分ばかりうとうとしてから10:08に再出発。お互いに「老体」をいたわり合い、80キロの速度制限を忠実に守りつつ走行、広島道⇒中国道⇒松江道(無料区間)⇒山陰道(ところどころ一般道になった細切れ高速)を経て、12:48にようやく米子東ICから出て、いざ大山への登り道へ。

米子東で出るまでに、安来あたりから、雪を頂いた大山の秀麗な姿が大きく見え始め、やはりムリしても決断して来てよかった…と、つくづく思ったことでした。

 

山陰道、安来あたりかた見え始めた秀麗伯耆大山

山陰道、安来あたりかた見え始めた秀麗伯耆大山

大山寺までの山岳舗装道路は、完全に除雪されていて、これならさくら(まお)ちゃんでも来れたのに…と少々悔しがっているうちに、入り口の広大な公営駐車場に到着。13;08、自宅「しげ爺草庵」から229キロ。約4時間ちょっとかけてやっとたどり着いたわけである。

 

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まずは、腹ごしらえを…と有名な「大山そば」を食べるべく、急坂を上り、そして左の専用駐車場に停めようとすると、そこは除雪がほとんどされてなくて、スリップしながらやっと停められた。広島から230キロ走って来て、最後の10mでようやく「4駆+スタッドレス」装備のトラにぃの面目躍如だった…と、この時までは気をよくしていた。

名物大山そば。素朴な田舎味で、ちょっと辛かった

名物大山そば。素朴な田舎味で、ちょっと辛かった

お目当ての大山そばの素朴な味を堪能して駐車場に戻ると、ちょうど中学生と小学生くらいの兄弟が、上からその駐車場までスキーで降りてきたとこだった。訊いてみると、かなり離れたスキー場からスキーでそのままここまでたどり着いたとこだとか。

思えば…18年前に日本を離れるまでは、かなり熱心にやってて、それなりの腕前だったスキーも、その後南国タイに移ってからは全く機会がなく、特に7年前の(この3・11で、もう7年になる!)交通事故での左膝の大怪我以後は、全くあきらめているスキーを久しぶりに目の前にして、複雑な感傷に浸っていた。

さて現実に戻って車に戻り、出そうとすると…かなりスリップしながらも奥から入り口まではなんとかバックで進めた。ところが、メインの坂道まであと2,3メートルのところになって全く前にも後ろにも進まなくなってしまった。

早速、このときに備えて用意してたスコップでタイヤの周りを雪かきし、何度も試みるが、どうしても動かない。

ちょうど坂道を下ってくる、元気そうな青年に「ちょっと押してみてくださいませんか?」と声をかけると、快く応じて下さったばかりか、スコップでの雪かきやらずいぶん献身的にやってくださるのだが、トラにぃ、いっこうに脱出してくれない。そのうちに坂道を降りてくる登山者やらスキー客やらが大勢集まってきてくれて、前後から押してくれたり、自分用の(登山用)小型スコップを取り出して雪かきに参加してくださるやら、さながら一大イベントと化してしまった。

その様子を「お、これこそFBネタ!」とばかりにスマホで撮りたい衝動にかられたが、ちょっと不謹慎かなぁ~と、控えた(したがって、この一大イベントの写真はありません。下のは、その直前に撮ったものです)

 

雪の深い駐車場に入れた…まではよかったのだが・・・

雪の深い駐車場になんとか入れた…まではよかったのだが・・・

そこに、大きな車で坂道を下ってきたオジサンがそのクルマで後ろから引っ張ってくださるというので、早速、これまた首尾よく用意してたワイヤーロープなど取り出してつないだところ…一発!

やっぱり、クルマの力に人間はかなわないなぁ~という意味の言葉を口々に交わしつつ、集まって下さってた若者たちは去っていった。

最初に一人で手伝ってくれた親切な青年には「連絡先を教えて下さい。あとで連絡しますから」とお願いしたが、固辞なさったまま、爽やかに坂道を下って行かれた。

というようなハプニングで30分近くタイムロスしたあとで、ただちになつかしい夏山登山口に向かう。1m近い積雪ながら、踏み跡はしまっていて、ワカン(輪カンジキ)なしでも少しなら上がれそう…ということで、杖だけで登り始めるも、やはり雪がだんだんやわらかくなり、それに帰りの時間も気になり始めたので、上り始めて10分足らずのところで、潔く引き返す。

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登山口から10分足らずのこの場所で引き返した

登山口から10分足らずのこの場所で引き返した

出発は3時ちょっと前。そのままわが草庵まで直行…のつもりだったが、途中立ち寄った大山牧場からの「雪の伯耆大山」の雄姿がすばらしく、しばし呆然と見つめたり、撮影したりしてから帰途についたのだった。

大山牧場から仰ぎ見る雪深い伯耆大山

大山牧場から仰ぎ見る雪深い伯耆大山

途中のPAで2回仮眠をとり、最終的に草庵に到着したのは19:25、出発して実に4時間半、236キロ。往復で466キロの長旅であった。老トラにぃも老ドライバー(小生のこと)も、よくがんばった。

すっかり暗くなっており、干したまま出た洗濯物は、すっかり冷えて湿っていた(涙)

やっと帰着、妹分まおちゃんの待つ草庵へ

やっと帰着、妹分まおちゃんの待つ草庵へ

2015年1月23日 04:58:34 カテゴリ: 未分類

日ごろの「高校数学趣味」が高じて、前日広島市内の某大手予備校の講師採用試験を数学で受けてみました。60分のペーパーテストに、そのあと15分間の模擬授業、そして最後に面接(予定は10分程度ということだったのに、試験官よりも受験者のほうが喋りすぎて30分くらいに!)

で、昨日その結果を電話でいただいたのですが「ペーパーの成績がイマイチなので、全体授業でなく、個人授業に回っていただきたい。ただし、いつからかは未定です。」との、いわば「準・採用通知」でした。でも「年齢がねぇ~」と言われなかったのは、ちょっと救いでした(笑)

もとより数学を伝授するのは「個人教授」のほうがいいに決まってる(つまり、他の課目に比べて、生徒個人個人の「理解の仕方」の差異が大きい)…というのが持論で、いわば「望むところ」ではあるのですが、こうやって、ランク的に「成績がイマイチなので個人授業に」と言われると、ちょっと…ですよね。

まあ、2,3月に再度受験して、「再評価」いただく(いただいた上で、やはり個人指導に回る)という手もあるので、目下思案中です。これからしっかりと「勉強」して(予期してなかった数IIIの難問がでましたしね)、再挑戦してみようかな…とも。
いずれにしても、正直ちょっぴり「ショックな」通知ではありました。

昨日は、この他にもうひとつ「軽~くショックな」事件があったのですが、それについては、また日を改めまして。

(話題の性質につき、写真はありません。数IIIの難問、こっそりスマホで撮ってくりゃよかった。「部分積分」を応用した問題でした。)

2015年1月22日 03:56:03 カテゴリ: 未分類

1月21日、当地さごたにに永久帰郷して今日でちょうど満10年になります。
3年前のこの日、「ちょうど7年前のブログから…」と題して、2005年1月21日の帰郷引越しの様子を引用しました。今回は再度引用はしませんので、もしご興味のある方は右の帯の「2012年」のところから入っていただき「2012年1月21日」の記事をご参照下さい。

さて・・「ちょうど10周年」と題すると、どうしても「この10年、いったい何をやってきたのか、何か成し遂げたことは、いったいあるのか?」ということを書く雰囲気になってしまいます。

なかなか気は向きませんが、敢えて書き始めてみます。

そもそも、ずいぶん深刻にためらった挙句、40年間にわたる都会生活(または、大げさに申せば「地球スケール」での放浪生活?)を捨てて、この「ほぼ限界集落」であるこの「さごたに」の地に舞い戻るに当たっては、けっこう悲壮な決意がありました。
どこにもまとめて文章にはしていませんが、記憶をたよりに、敢えて今文字にしますと…
「基本的に自然農と林業による自給自足的生活を目指す中において、菩薩行と仙人修行を実践する。その余暇として、若いころからのあこがれでありながら現役生活ではついに果たせなかった「宇宙物理学の研究」に浸り、さらなる余暇として、若いときから細々と続けてきたフルートなど横笛を楽しみ、あわよくば地域でのコンサート活動に乗り出す。さらに時間が許せば、地域の人たちに少しなりとも役立つ活動にも参加する。」

まあ、ざっとこんなものだったかもしれません。その一端を、以前ちょっと書きましたが、帰郷早々の2005年4月に、国際会議場での講演会の前座として公表してしまいました。

さて、あれから丸々10年経ちまして…。

・ 菩薩行と仙人修行・・・う~ん、なかなか進みません。

・ 宇宙物理の研究…それなりにはやっています。とても「最先端の研究に参加して論文発表を」というところまでは行きそうにもありませぬが、最先端の研究成果を、これまで蓄積してきた専門知識をベースに自分なりに理解し、それを噛み砕いて一般の方に伝えるくらいはできるかも…ということで、昨年の10月「さごたに仙人の語る最新宇宙論」と題して「ダーク・エネルギー」に関するまじめな講演(質疑を入れて約90分間)を行ったりしました。

・ フルート演奏:帰郷早々の2005年8月、「湯来町在住の音楽家たちによるコンサート」を、吉野妙さん(現在の私のピアノの先生)と協力して開催し、そこで「主催者の特権」を振りかざして、ちょこっと割り込み演奏させていただきました。他の方々の演奏は好評だったものの、私自身の演奏については、どなたからも何のコメントもいただけませんでした(悲)
・ 地域の人たちに役立つ云々・・・これも「う~ん」ですなぁ。3年前から、佐伯区役所からの、いわば委嘱事業として「佐伯区まちづくり百人委員会」の湯来町部会部会長なるものをやらせていただいてますが、果たして「役立つ」ところまで行っているのかどうか…甚だ心もとないところです。

帰郷当初の「計画」には、まるでなかったことですが、昨年(2014)からテニススクールとピアノレッスンというふたつの「お稽古事」を始めてしまいました。文字通り「60過ぎての手習い」です。それに、生活費のための塾での講師(小学5年生相手の授業は、けっこう楽しいですけど)やら、たま~に山林作業やらで、毎日結構忙しく日を消しております。
でも、それこそ「日を消している」という感覚からなかなか逃れられません。

この後さらに10年経つともはや70台…ぼつぼつ「人生の終末」について真剣に考え始めておるのでしょうか、あるいは「日本と世界の将来を、できるだけ長く見届けたい」とばかり長寿に固執しておるのでありましょうか・・・あるいは、すでにあっけなく死んでたりして(笑)

まあ、こんな駄文しか書けない「帰郷後10周年記念日」でありました。

2015年1月19日 06:57:00 カテゴリ: 未分類

「天皇盃・ 第20回全国都道府県対抗男子駅伝競走大会(通称:ひろしま男子駅伝)」を観戦してきました。
広島に永久帰省して今年でちょうど10年、その間にまだ2度しかナマで観戦しておらず、今回が3度目だったのですが、以前の2回と違って、第5中継所(5区⇒6区の中継地点)である広島工業大学高校(旧・電波高校…60歳以上で、昔から広島の人でないとわからない呼び方です)の前に並んだのは、やはり一週間前、京都女子駅伝に行ったのに惜しくも出場を逃した地元の女子中学生さんのことがアタマにあったことによると思われます。
結果は、ご承知のとおり…第1走者(高校生)の思わぬ不調により、広島県はかなりの成績不振に終わりましたが、それでも途中の高校生・中学生たちは、健気に宮島街道を駆け抜けていきました…私のストライドの実に2倍以上の2mはあろうかという豪快なストライドで!

一位’たぶん)選手のたすき渡し。撮影バイクのブレブレが、ちょっと気に入ってます(笑)

一位’たぶん)選手のたすき渡し。撮影バイクのブレブレが、ちょっと気に入ってます(笑)

最終ランナー(今年も沖縄県)の後ろに白バイと救援車が

最終ランナー(今年も沖縄県)の後ろに白バイと救援車が

(番外)応援ポイントに向かう途中で見かけた名車ハマー(Hummer)

(番外)応援ポイントに向かう途中で見かけた名車ハマー(Hummer)