さごたに通信

2015年11月29日 05:49:25 カテゴリ: 未分類

朝0830に家を出て、23時過ぎに帰宅・・・またもや東奔西走の長い長い長い一日でした。

午前中は通常通り塾での授業、たまたま午後は仕事が無くてお昼で退社でき、そのまま今日の「広島ロング・トレール」の集会が行われる安芸区民センターへと、五日市駅から電車で向かおうとしたのですが、ちょっと時間があるので・・・とばかりに、およそ1年間後無沙汰していた「かつての教え子」のいるすぐ近くのM電気店に立ち寄ってしまいました。生憎教え子さんは、土曜日なのに学校で、その代わりに彼女のご両親と、さらに、たまたお店の手伝いに来てたボクの小学校の同級生Kちゃん(と言っても、すでにええオバチャンですが)にも会って、ふるまわれたおいしいゼンザイを啜りながらハナシに華が咲き、気付いたら予定時刻を過ぎてておりまして・・・

というわけで、最寄の海田市駅で降りたら、すでに開会時刻の1330になっていました。駅の陸橋の上まで、先日大峰山頂で知り合った豊田さんが、プラカードを持って出迎えて下さっていました。

そもそも、本日のこの「広島ロング・トレール」の設立記念大会に伺うきっかけとなったのは、この豊田さんとの、大峰山頂での偶然の出会いでした。そう、覚えてらっしゃる方があるかもしれません。あの「キョーフの廻り縁」を、さらりと回ってしまわれた、日本山岳会・広島支部の方です。(さっそく、ボクのFB友になっていただいています)

さて、またもや、長くなりそうですなぁ~。
では、このあとは、例によって「ヒゲしげ爺・・・」に引き継ぎますので、ご興味のある方は、どうぞそちらへ。
http://www.shigejee.jp/blog/

・・・と、ここまでは、例によってFBの記事のそっくりコピペです。

大会ブロシュアと、ボクの名札。「所属」として記されてしまった「おにぎり山登山隊」このあとの懇親会で、キョーレツにアピールすることに。

大会ブロシュアと、ボクの名札。「所属」として記されてしまった「おにぎり山登山隊」このあとの懇親会で、キョーレツにアピールすることに。

そこから引き継いで、続けます。

豊田さんは、ご親切にも駅から会場までを、「日本山岳会・広島支部」での他のお仲間を紹介しつつ、同行してくださり、手続きも代行して下さり、さらに会場内ではボクの横にご着席くださって、いろいろと、ご解説下さいました。しかし、肝心のボクは・・と申しますと、前夜の「山口でのコンサート(12・4)のプログラム最終仕上げで完全に寝不足、日本の登山界では著名な「重鎮達」のせっかくのプレゼンの最中にこっくりこっくりやってしまう体たらくでありました。

それでも、最後にプレゼンなさった、広島ロングトレールの会の田口さんの軽妙なご説明のことには、すっかり目も覚めて、興味深く拝聴いたしました。

パネル・ディスカッション(PD)

パネル・ディスカッション(PD)

その後、ちょっと時間不足気味のPDが予定の1630をちょい過ぎて終わると、三々五々と懇親会場のJA海田ビルに移動、そこで、いよいよ今夜のメインである懇親会が開催されたのです。

(続く)

 

2015年11月27日 01:33:43 カテゴリ: 未分類

ニュースのワンショットを使った、「かつての愛弟子」の自慢をさせて下さい。
画像は、今夜(26日)の「報道ステーション」(古館一朗)からのワンカットです。

昨夜の報道ステーションのシーンから

昨夜の報道ステーションのシーンから

江守君…いや江守正多(せいた)博士は、18年前まで研究員として出入りしていたボクの研究仲間で、その後ボク自身の外国への転出(島流し?)と入れ違い(引き換え?)に正式に研究員として採用され、その後現在に至るまで、けっこう華々しく活躍されており、今や「気候変動研究における、日本人若手の第一人者」とまで呼ばれております。

昨年11月には、この「さごたに通信」でも何度かハデに書きましたように、私が個人的に広島にご招待して、講演を連日2度もやっていただき、夜は一緒に流川のカラオケにも繰り出して旧交を温めた次第です。(江守君、ご覧の通りのイケメンだけでなく、歌もめっちゃ上手いです!)

昨年11・16のシンポジウム(RCCのニュース)から。右端に、「主催者の特権」とばかりにエラソーに座ってるのが、小生ヒゲしげであります(笑)

昨年11・16のシンポジウム(RCCのニュース)から。右端に、「主催者の特権」とばかりにエラソーに座ってるのが、小生ヒゲしげであります(笑)

実は、来週の12・2(水)に岩国市の招待でやって来て、講演会をやってくれます。
本来なら(昨年のように)この「さごたに通信」を通じてもっと大々的に宣伝してもよかったのですが、実は今回の講演会は「岩国市民だけ対象」という制約があるために、あえて差し控えておりました。
私はもちろん岩国市民ではないのですが、昨年私が企画した講演会にお出で下さった岩国市環境課の方から「特別に」ということで、お招きにあずかった次第です。
前日(1日)の夕方遅く岩国・錦帯橋空港に降り立つ江守君を空港まで出迎えたい気分なのですが、あいにくこの日は週にたった一度の「夜のお仕事」、仕事が終わる20時過ぎに五日市を出発、山陽道を飛ばして彼の宿泊先に急行し、「いくら遅くなってからでもいいですから、二人で飲みましょう」と誘ってくれた江守君と、サシツササレツで、1年ぶりに再び旧交を暖めることになります。まあ、あくる日がホンチャンなので、「飲み明かし、語り明かす」とは参りませぬが・・・(笑)
以上、「かつての」弟子や同僚の自慢ばかりして、自分自身は一向にサエナイ、引退研究者ジジィより。

2015年11月23日 22:40:45 カテゴリ: 未分類

天気予報が良い方にはずれて、秋晴れの、まさに「小春日和」と呼ぶに相応しい日和の本日、いよいよ八王神社秋祭りのホンバンでした。
ボク個人にとっては、前々から周到な準備を積み重ね、ここでも何度か取り上げました「八王神社由来記」の扱いについて、氏子の皆さんからの意見を求める・・・というのが、今日の最大のテーマだったわけです。
結果を先に申します。いやはや惨憺たる結果、完敗・撃沈されてトボトボと家路をたどった・・・という状況でした。「永久帰郷を果たしてそろそろ11年、この土地の人々のことを、まだまだ十分理解できとらんなぁ~」と反省しきりです。
他の議題もあったのですが、この「由来記」の部分だけで申しますと、結局「継続審議」(結論は一年送り!)となったわけです。
具体的には・・・
(ちょっと休憩)

 

 

祭礼の後の直会(なおらい)にて。ここで「由来記」を提案したのですが・・・

祭礼の後の直会(なおらい)にて。ここで「由来記」を提案したのですが・・・

このあと、少し考え込んだ末に、FBの方には、以下のように書いてしまいました。

*  *  *

このあと、書き方についてかなり考え込んでました。書き方によっては、ヘタすると、これまで11年近くなんとか折り合いをつけてきた周辺の方々(の大半)と、かなりヤバイ関係になるかもしれないので。そこで、周辺の人も数人FB友になっておられるここよりも、例の場所に書き続けるほうが賢明かと・・・。ということで、続きはアチラで。

*  *  *

ということで、続きは「こちら」で。

まあ、今日の直会でのごちゃごちゃした議論には余りご興味ないでしょうし、それに私自身、正直余り書きたくもありませんので、ちょっと抽象的になりますが、もっと大きなテーマとして「田舎に落下傘的にやってきた(または、数十年ぶりにU-ターンもした)人間の、「地元の人との折り合いの付け方」の困難さについて、前々から思っていたことを述べてみます。

おそらく、以下のことを実感をもってご理解いただけるのは、Iターン組のUさんーKさんご夫妻やI博士など(以上Zカフェ)や、最近35年ぶりの再会と旧交の温めを果たしたUターン組のFさんなど、ごく少数の方に限定されるかと懸念いたします。

まず最初にちょっとだけ、今日の議論に至る経緯についての説明を兼ねて、恥を忍んで少々ボヤイてみますね。

そもそも私が永久帰郷を果たした11年近く前(2005年1月)、真っ先に峰ちゃん(ボクの当時50年の旧友にして、この周辺での実力者)から「あんたぁ、勉強しとるんなけぇ、歴史にも興味があろう。やつうさん(八王神社)の由来みたよーなことを調べて書いてくれんかい、立て札にしようかと思うんよ」と言われてから10年余り、あまりにも史料が乏しく(限りなくゼロ)あるのは口承による伝承ばかり・・・という中で、なかなか書けずにいたのでした。

ところが、最近になって隣家(で、しかも祖母の里)の大上さんから、私のかつての恩師がまとめられた冊子を見せられて、そこに、八王神社についてのかなり詳しいことの記載があったことがきっかけで、一気に書き上げた・・・という次第です。

(続く)

 

2015年11月19日 00:01:33 カテゴリ: 未分類

(1)出発から、大道駅に降り立つまで

ひょっとして、このボクはこれまで「雨男」だとばかり思っていたけど、ホントは「晴れ男」なんじゃないかと…今回の2泊3日の山口・秋穂(あいお)への旅で思いました。

先週の金・土は雨がち、そして旅の二日間(日、月)だけ快晴、そして早朝に山口市を出発して帰ってきたおととい(火)も昨日も、再びの雨。つまり、大事な「日・月」だけが、秋晴れの好天、まさに絶好のクルージング日和だったのですから!
わが庵の最寄り駅である、山陽本線・五日市駅から、岩徳線経由で再び山陽本線の小さな無人駅「大道(だいどう)」に降り立つまでの3時間近くの普通列車の車中で、実にの~んびりと過ごしました。五日市で乗車直前に買い求めた新書「しない生活」(小池龍之介著)を読んだり、正午過ぎには(大畠のあたり)家から持参したお弁当を食べたり、2度目の乗換えである徳山駅からは向かい合わせの女子高校生と歓談してみたり・・・。
偶然なことに、その女子高校生さんも、近くの県立高校の部活とかで、同じ大道駅で降車されました。
出口は駅の両側にあると言うので、これから35年ぶりに再会を果たそうとしている友人「Fさん」に電話して、どちらなのか確認しようとすると、彼女は親切にも「たいてい、出迎えはこちらですよ・・・私もこちらです」と、スタスタと階段を降りて行くので、ぼくも後をついて行きました。学校までは歩いて20分もかかると言うので、「じゃあ、これから迎えに来てくれる友人の車に乗せてってもらう?」と、万事控えめで、こんな大胆なことを初対面の方に(しかも若い女性に!)対して言ったことなど、これまでの生涯で一度もなかったボクとしては、ありえないような提案をしてしまっておりました。
少女は、階段の途中で立ち止まって、まっすぐにボクの目を見つめてから、満面の笑みで「いいです、いつも歩いてるから。でも、ありがとう!」と、爽やかな言葉を残して「あ、しまった!なんという発言を…」と、反省しきりの哀れなオッサンを一人残して足早に階段を降りて行きました。
高3の彼女、すでにAO試験で広島県内のある大学に進学が決まってるとのことでした。
(残念ながら、彼女の写真はありません。さすがに初対面の女性に写真を・・・とは言い出せなかったので)

この9月末の「観月コンサート」で往復したばかりの大島大橋を通過したのは、ちょうど正午ころでした。

この9月末の「観月コンサート」で往復したばかりの大島大橋を通過したのは、ちょうど正午ころでした。

(続く)

 

2015年11月17日 10:19:33 カテゴリ: 未分類

おはようございます、山口市滞在、ついに3日目になってしまいました。
「35年間の空白を埋めるには、1泊2日じゃとても足りん」とばかりに強く引き留められて、さらに1泊延ばすことに…

ふじさんの愛艇「富士丸」と

ふじさんの愛艇「富士丸」と

昨夜は湯田温泉でのんびりと露天風呂に浸かったあと、軽く食事とカラオケ、そのまま山口市中心部にある、ふじさんの事務所に一緒にお泊まりでした。

ところが…今朝はこのあと0530にここを出て山口駅まで歩き(15分くらい?)、電車に乗らなくてはいけなくなりました。
と申しますのは…。

昨夜、楽しい二人での夕食の最中に、隣家の峰ちゃん(60年来の友人)から電話があり、「あしたのやつぅさんの幟立てよのぉ、昼からに予定しとったんじゃが、どーでも降りそうなけぇ、午前中にしょー思うんじゃが、あんたぁ出られるかい? その時間にゃあ、どんぐりさんが出られんけぇ、あんたが出んかっつりゃあ、二人じゃああの大けなんをよぉ立てんともうんよ」(念のため標準語訳: 明日の八王神社の幟立てだけど、午後に予定してたんだが、どうでも雨になりそうだから、午前中にしようと思うんだが、あんた出られるかい? その時間には団栗亭さんが出られないから、あんたが出なかったら、ワシと光春さんの二人では、あの大きな幟を立てられないと思うんだよ。)

というわけで、ふじさんお奨めの「朝の8時から始まる近くの朝湯」もあっさり諦めて、しかもおとといの~んびりと鈍行で来た時の片道料金の3倍近く払って、新山口→広島間は15カ月ぶりの新幹線を使って、急いで帰ることになった…とゆー次第です。

帰宅のあと直ちに、峰ちゃんから言われた集合時刻9時にやつぅさんに集まり、昼までに済ませてから少し休んで、1630には出掛けて毎週火曜日の「夜のお仕事」に向かいます。

ふじさんお手製のタラバガニ鍋。ご自分で栽培された新鮮な野菜たっぷり!

ふじさんお手製のタラバガニ鍋。ご自分で栽培された新鮮な野菜たっぷり!

従いまして、この度の山口へのヨットに乗せていただく2泊3日の旅のまとめ編、明日以降になりそうですので、このあと、言わば「中間報告」を少し書き始めておこうかと。