さごたに通信
ちょっと前後しますが、2・8(日)のことを書いたフェイス・ブックの記事を、そっくり転載しておきます。2・9(月)の早朝に書いたものです。
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今日、これから岩国・錦帯橋ロードレース(3・8)の試走に出かけるので、きのうの2件、とりあえず手短に書いておきますね。
まずは、地元町内会のとんど祭り…えっ、こんなに遅く?って感じですよね。ここの町内会では、毎年「2月の第2日曜日」が恒例なのです。
朝から雨もようの肌寒い天気、なんとか決行することに決めたものの、その後も雨がみぞれまじりになったり、かと思うとつかの間の晴れ間があったり、しまいにはみぞれの本降りになったり…で、例年のことながら、天気に翻弄された半日でした。
2番目。
3時前にとんどからほろ酔いで帰ってから、すっかり冷え切った体を熱い風呂でぬくめてからちょっと昼寝…5時前に出かけて広島駅北側のホテル・チューリッヒ東方2001に向かいました。
かねてから心待ちにしていた、平岡麻衣子さんのディナーコンサート会場です。
昨年の湯来町でのチャリティ・コンサートでは、大勢の出演者の中のお一人で時間も短く、またもう一人のピアニストの方との連弾でもあったので、よくわからなかったのですが、今回は全部で(アンコールなどを含むと)13曲、そのうちソロが6曲ということで、麻衣子さんの現時点でのご回復ぶりを十分に確認することができました。しかも、鍵盤の上での両手の動きがよくわかるように、ピアノの脇に大型スクリーンに投影する仕掛けがあって、はっきりと拝見できたのです。
事故当初、完全不随だったはずの右手の動きが、ほぼ完全に近い形で復活なさっていて、リハビリへの並々ならぬ努力を想像することができました。
なお、ちょっとしたエピソードなのですが、食事が終わって演奏が始まる直前にトイレに立ったところ、その近くのステージへの入り口で、お母様(ともこさま)に付き添われた車椅子の麻衣子さんにばったりと出会い、短い言葉をかわし、さらに握手もさせていただきました。しっかりと開いた左の目で私をみつめられた目には、「慈愛」にも似たものを感じ、差し出された右手の柔らかな優しさと重なりました。
第2部はチューバとの共演だったのですが、チューバには、かつての教え子(女子高校生)の吹奏楽部での演奏を2,3度見に行って、慣れ親しんではいたのですが、このようにソロ(ピアノ伴奏)での演奏に接するのははじめてのことで、この、どうみてもソロには似つかわしくない巨大なラッパで、ちゃんとメロディーを演奏なさっている技量には感服しました。それにしてもデカイ楽器だなぁ~。
最近、フェイスブックで知り合ったばかりで、まだお目にかかったこともないYさんと、その方のご近所のお友達のMさん(華道のお師匠さん)と3人で、岩国・錦帯橋ロードレース(3月8日)の試走に行こうということになって、昨日行ってまいりました。
全く初対面のお二人にお住まい近くの公園で落ち合って、もし道中に雪が残っていたら私のオンボロ軽四駆にお乗せするしかないか…と一応掃除の真似事をしていったのですが、雪はわが湯来町あたりだけらしくて、幸いにもわがオンボロに出番はなく、代わりにYさんの高級大型車に乗せていただいて、一路岩国に向かいました。
…と、この調子で書いてたら、またもや、とてつもなく長ったらしくなりますので、途中省略しますね。
3・8にはYさんと一緒に5キロを走られるというMさんは、あいにくの風邪気味で、コースの途上に止めたその大型車の中で観戦、その前をYさんと二人で失踪…じゃない、疾走して通過しました。
初めての長距離レース挑戦とおっしゃる割には、とてもキレイなフォームで走られ、5mくらい後ろから、そのほぼ一定なペースで走るYさんの姿に見とれながら(笑)私が出場するハーフ(約21キロ)のペースでついていくと、思わず置いていかれそうになるほどでした。
クルマであらかじめおおよその距離を測っておいた往復約5キロの、ほぼ平坦なコースを走り終え、二人ともとても爽やかな気分で、車内でまちぼうけのMさんのところに戻ったことでした。タイムは30分ちょい、決して速くはないですが、「初めて」にしては上出来で、思わず「5キロでは勿体ないですねぇ~、次回はぜひ10kかハーフに!」と声をかけたほどでした。
まあ、これで書きたかったことの約5分の1ですね…そのあと、近くのステキな喫茶店でお茶したこと、往き還りの車内での楽しいおしゃべり、お二人と別れて、もう雪も大丈夫かな…と峠越えで帰ろうとして、雪道で往生したこと(写真↓)。まあ、またいずれ・・・。
妹背の滝(廿日市市大野)の上で、流しそうめんと釣堀りをやってる友人Kさんが先日英国から帰国されたので(「さごたに通信」2014年10月10日の記事ご参照)、早速「呉の熱血風来坊」Uさん(今、思いついたばかりのニックネームです)と二人で訪ねた。我々は、この隠れ家的一軒屋を「妹背の滝・梁山泊」と称している(かな?)
Kさんの、ロンドンとマラガ(スペインのリゾート)での滞在の土産話から始まって、最後は、自然の流れで今般の「イスラム国・人質殺害事件」そして、なんとしまいには「人々は、なぜFacebookにはまるのか?」という話題にまで発展し、4時間余りの談論風発の末、ようやくお開きとなった。
「イスラム国」では、Uさんがお得意のCIA陰謀論を展開、少々首をかしげたくなる「勇み足」はあるものの、おおむね説得力のある説であった。まあ、「アメリカの軍産複合体(conglomerate)が、日本政府を中東紛争(端的には「イスラム国」との戦い)に誘い出したくて仕組んだ陰謀」という、巷間かなりメジャーになりつつある説から、それほど大きく飛躍したものではなかった…「あの二人は、食い詰めていたところを巧妙に誘い出されて紛争地域に渡った」とか、「一連の誘拐・脅迫劇は、CIAと日本の外務省が共同制作したシナリオだ」とかいう点を除いては。
Facebookについては、全く関与されていないKさんが大いに疑義を呈され、それに対して、すでに「かなりはまってる」と思われても仕方がない小生が、不本意にも(!)消極的弁護を展開…という構図になってしまった。Kさんの論は「今3人でやってるような、コタツに当たってお茶を飲みながらの交流」こそがホンモノで、バーチュアルな世界での交流なぞ空しい」と要約でき、それに対する小生の「反論」(?)は、全く説得力に欠けており、「結局、みんなで自分の近況を知らせあって、寂しさを紛らわせてるんですな」ということに落ち着いてしまった。
コタツの部屋の大きな窓をたたく雨に大粒のみぞれが混じり始め、「こりゃ、さごたには大雪かも…」ということで、ようやく3人のおじさんは、ぬくぬくのコタツから這い出て解散となった次第。
「妹背」での写真は一枚も撮らず。これは、帰り着いたときの愛車「まおちゃん」(ダイハツ・コペン)の様子である。
約束よりも丸一日遅れました。この間、色々とハプニングが続いたものですから。
昨夜から今朝の未明にかけて、日曜日の報道番組の録画をいろいろと拾い見しましたが、日曜朝に書いた私としての見解は、さほど影響は受けませんでした。というか、出演なさる「識者」の方々も、「安倍首相のエジプト演説と、今回の不幸な事件の関連」については、内心思いはあっても封印なさっている印象を強く受けました。
一番中身が濃かったのは、予想通り…と申しますか、昨夜の「BSフジ・プライムニュース」だったと感じました。(この番組、放送開始の5,6年前からほぼ毎回見ています。BSフジから表彰されたいくらいです…笑)
昨夜の出演者は、前半(大半)は世耕官房副長官と宮家元外交官の二人、後半で短い時間、福山・民主党幹事長代理でした。
世耕氏といえば、自他共に認める「安倍総理の最側近」、事実上ウラで(いや、表で堂々と)安倍首相を操っている(言葉はアレですが)ブレーンで、宮家氏は、それこそほとんど毎日のようにテレビ出演している「外交専門家」であることは、今更申すまでもありません。
その世耕氏は、今回の事件への対策立案で、文字通り中心人物であったと思われ、その証拠に、司会の反町氏(フジテレビ政治部長・解説委員)のスルドイ追及にも「これは機微に触れることなので…」とかわすのが、やたら目立ちました。
一方の宮家氏…反町氏が、まさに私が日曜日に書いた「安倍首相のエジプト演説と、今回の不幸な事件の関連」について問いただしたところ、冒頭で「もう外交官は辞めたので本音で申しますと…」と前置きしたので「おおっ!」と前のめりで見てたら、途中で言葉を飲み込んで「…致命的なミスではなかった」と、擁護の言葉を添えるのが、「元外交官」としてのギリギリであったようです。
確かに世耕氏が繰り返す「人質がとられている(彼は「行方不明としか認識していなかった」と言いましたが、後藤夫人宛にすでに脅迫状まで届いていて「行方不明」はないんじゃないかと…)からと言って、総理の演説を取り下げる(修正する)ようでは、まさに「テロに屈したことになる」と、何度も強調していました。
果たしてそうだろうか…というのが、私がおととい述べた最大の論点であり、視聴者からの質問メールでも指摘されておりました。ここがまさに「核心部分」だと思います。
「機微に触れるから控えさせていただく」というのと同じセンスで、「今回のような緊急事態では、少なくとも一般に対して公開の形で『イスラム国と闘う周辺各国に総額で2億ドル・・・』などという発言も『控えさせていただく』」というくらいの配慮をしても、「テロに屈した」ということには、決してならないと愚考するのですが、いかがでしょうか?2億ドルとかいう援助は、ちゃんと「不言実行」で約束したらいいのです。
「おいおい、それをいっしょくたにするのは、少々乱暴では?」というご批判を敢えて承知で申し述べました。
宮家氏がさかんに繰り返していた、そして、後半でちょこっとだけ出演した、民主党の福山氏も述べていた「1・20のビデオ公開以後の対応に、日本政府の失策は見当たらない」というのには、私自身は過去の経験に照らし合わせて少々疑義を覚えるのですが(その「過去の経験」の中身については、それこそ「機微に触れるので、控えさせていただきます・・・笑」、百歩ゆずってそれを認めたとしても、「1・20以前」の対応については、(エジプト演説や、そもそもこの時期の中東歴訪の決定そのものを含めて)大いに疑惑のあるところです。
とりあえず、これくらいにしておきます。