さごたに通信

2015年11月10日 00:06:28 カテゴリ: 未分類

[以下、さきほど書き上げたばかりのFBの記事をそっくりそのままコピペしたものです。そのためにつじつまの合わぬところもあるかと・・・ご承知下さい。]

お待たせしました(?)。今日の大峰登山のこと、改めて書き始めますね。まずは、写真だけちりばめておきまして、それぞれにボツボツとコメントを付けていきます。

*  *  *
「予告記事」に書いた「晴れ女パワー vs 雨雲のせめぎあい」今回は、どーやら我らが「晴れ女」側が、ちと劣勢に立ったようでした・・・ザンネン! それでも晴れ女パワー、健気にもよく持ちこたえてくれ、思わぬ副産物ももたらしてくれました・・・このようなモチーフで書いてみようとしています。
草庵を0720に出発、まずはマリーさんちにお寄りして、マリーさんと、昨日の学習発表会の代休で学校がお休みの二人のお嬢ちゃん(小3、小1)を乗せました。
この時点で、雲行きは既にかなりアヤシく、マリーさんも「こりゃ、もたないね」。それに対して、お嬢ちゃん二人は意気ケンコー、とても「止めようか」と言い出せ空気にはなく、「だいじょーぶ、晴れ女がたくさんいるからね!」と、ボクも3人をを元気付け、ついでに自分自身にも暗示をかけておりました。かつて、気象予報士の試験問題の作成を手伝った程の知識を以ってすれば、今日はさすがにヤバイかな・・・と、頭の理性的部分は語りかけてはいたのですが。
ボクのおんぼろ四駆(走行距離、なんと24万キロ余り!)、愛称「とらにぃ」に3人をお乗せし、少し離れたゆーこりんちに寄って「晴れ女筆頭」みたいな彼女を隣の席に乗せ、いざ大峰山北登山口へ。
およそ30分で標高820mの北登山口に到着。この時点で少し空は明るくなり、こりゃひょっとして、再び奇跡が・・・と期待させるものがありました。

たった一度だけ座って休憩。元気少女たちには、これさえもまどろっこしかったらしい!

たった一度だけ座って休憩。元気少女たちには、これさえもまどろっこしかったらしい!

標高差わずか200m余りの楽な登りを歩くこと30分余り、速く登りたくてしょうがない少女2名を必死で制しつつ、頂上下の避難シェルターに到着。「休む」ということなどまるっきりアタマにない元気少女らは、すぐ目の前にある岩峰の太いロープを登りたがります。さすがに、ここは母親が止めに入って「まず、しげさんにお手本を見せてもらってからですよ!」。

山頂シェルターに到着するが早いか、ロープに取り付きたがる元気少女たち

山頂シェルターに到着するが早いか、ロープに取り付きたがる元気少女たち

そこで、図らずも「お手本」とやらを見せるハメになってしまったのだが、小雨に濡れている岩肌は滑りやすく、おまけに落ち葉がへばりついていて、ますます危なくしている。これをちゃんと「お手本的に」登れるンかいな・・・という内心の不安を微塵も見せずに、平気な顔をつくろって上りきる。すると、すぐ後ろから少女2人が、なんてことないじゃんって顔で、するすると登ってくる。(むしろ彼女らの方こそ「お手本」じゃないか!)

(続く)

 

2015年11月8日 21:15:39 カテゴリ: 未分類

ハカセとひとしきり話し終えると、今度はこの「ぞうさんカフェ」のオーナーにして「ミチ・コーポレイション」代表の植田ひさしさんが現れた。先刻来の「I-U論争」をがさらに深まり、いろいろと教わることが多かった。このディープな論争については、近々稿を改めまして・・・。

話に夢中になっているうちに、気がつくと既に数人のお客さんが回りに。はるばる浜田からいらっしゃった先輩ご夫妻やら、なんか独特の雰囲気を醸し出してるオジサンやら(この方はコウさんと呼ばれていて、映画の後、見事なワンマンショーを繰り広げられることに)。
そして、皆からはちょっと離れた隅っこの暗がりには、なんと地元の女子高校生がたった一人で!

地元の県立高校に通う女子高校生がなんと独りで。なんでも、ここでのイベントの常連だとか。このあと少しお話できた。

地元の県立高校に通う女子高校生がなんと独りで。なんでも、ここでのイベントの常連だとか。このあと少しお話できた。

なお、「はるばる浜田から」と書いたけど、浜田からここまでは40分とか・・・70分もかかった我が家よりも遥かに近い・・・ここが古来より、そしてたぶん今でも「石見文化圏」であることを如実に感じたのであった。

その他には、「語り部」と書かれた名刺を下さった大先輩もいらっしゃって、この地域や私の住む地域のことにもお詳しそうであった。もっとお話を・・・と思っているうちに「映画祭」が始まった。

 

「花とアリス」という、巨匠岩井俊二監督の2004年の作品で、共同主演の 蒼井優と鈴木杏の11年前の若い姿を目にすることが出来た。ストーリー自体はありきたりの、いわゆる青春モノだけど、岩井監督独特の、品のあるコミカルさが要所要所にちりばめられていて、十分にオトナも楽しませる作品であった。主要な部分は、この二人の女子高校生と、二人から「せんぱい」と呼ばれる男の子の3人だけで演じられ、時々登場する「脇役」として、阿部寛やテリー伊藤など当時既に大物俳優だったのが、ホンのちょっとだけ出て来るというのもご愛嬌、その「品のあるコミカル」に花を添えていた。

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終演後、僕がまっ先に手を挙げて、上記のような感想を述べた後、「せっかくホンモノの女子高校生が見てらっしゃったんだから、ぜひ感想を」とむちゃぶりしたのだけど、おっとりした雰囲気のRさんは、ただニコニコなさっているだけだった。

映画が終わるのと相前後して、植田オーナーとハカセが地元の集会から帰ってこられ、さあこれからいよいよホンバン開始という雰囲気が増してきた。

植田さんは、一人の若い女性を伴ってこられて、なんとマレーシアから「日本を見聞するために」あちこちと旅行し、たまたま今は植田さん家にホームステイしている人ということだった。

Yuiさんというその女性は、たまたまボクの隣に着席なさり、最初は彼女のカタコトの日本語で、途中から、今度はボクの方がカタコトである中国語での会話を試みたが、どうも普通話(プートンホア=北京語)があまり通じなくて(ボクの発音が良くないせいもあったかもしれませんが、マレーシアの中国語の発音は独特です)、しまいには、お互いに対等にカタコトである英語での会話に落ち着いた。Yuiはもちろんニックネームで、「本名は?」と尋ねると、なんとスマホからご自分のパスポートを写したのを見せて下さり、ついでに生年月日までわかってしまった(笑) ヒミツです。

別に政府からの派遣制度というわけでもなく、完全に自費で、しかも日本の前には韓国にも同様に「見聞のために」数ヶ月間滞在したという独身女性・・・マレーシアおいう国も、いつのまにかリッチな国になったものだ・・・と、13年前まで隣国タイ王国に住んでいた者としては、感慨深いものがあった。

(ちょっと休憩)

2015年11月8日 11:21:17 カテゴリ: 未分類

(例によって、最初の2段落は、FBの記事ほぼそのままです。)

11月とは思えぬ異常な暖かさの昨日土曜日、はるばる50キロ余り北に向かって愛車を飛ばし、芸北は荒神原、広島ー島根・県境がすぐそこという所に位置する、ご存知「ぞうさんカフェ」を訪ねて参りました。
何度も繰り返して申しておりますように、毎週土曜日は職場が原則18時まで。それを15時で早引きしていったん自宅に戻り、今夜の夜更かしのためにちょっとだけ昼寝してから(いいトシこいて夜にめっぽう弱いので)、「暖かい」曇り空の中を出発しました。

*  *  *

山登りで通いなれた国道186号ではあるけれど、時折登りに行く県境の山・雲月山へは少し手前で右折するし、その手前のオークガーデンは左折するし・・・で、ふだん186号をこんなに奥まで真っ直ぐには来ないよなぁ~という所まで入り込んで、ついに「ぞうさんカフェ」の巨大な建物が見えてきた。事前の案内には「雄鹿原郵便局の向かい側」とあったが、建物の規模からして逆に。鹿原郵便局の方が、ゾウさんカフェの・・・との表現がより適切と思われるほどであった。

到着すると「映画祭の終りころに漸く帰ってくる」と知らされていたハカセこと、井筒智彦博士が、そこにいらっしゃるではないか!お聞きすると、「いやぁ、先輩がいらっしゃるというので、お待ちしてたんですよ。でも、映画が始まったころにちょっと抜けて、まだ戻ってきます」と、ウレシイお言葉。

その巨大な建物の内部に所狭しと並べられた無数の「そうざんグッズ」の説明を、慣れた調子でやっていただいてから、しばし歓談。テーマは自然に「東京からこの大田舎に、いわゆる I ターンしたことによる苦労話」に。さらには、私のようなUターン組と、ハカセのような I ターンとでは、地元からの受け止めがどのように違うか・・・という、言ってみれば「I-U論争(?)」にまで発展しつつ、冒頭からかなりの深まりを呈し、このあとの深夜トークでの更なるディープな展開を、否が応にも予見させるものであった。

そして、この予見は、見事に的中したのであった・・・しかも、かなり意外なカタチで。

(続く)

ラッピングしたワインをお持ちしたところ、早速オーナーの植田さん自ら、出席者にふるまって下さった。

ラッピングしたワインをお持ちしたところ、早速オーナーの植田さん自ら、出席者にふるまって下さった。

2015年11月7日 04:24:15 カテゴリ: 未分類

例によって、冒頭に、Facebookに書いたことをそのまま引用します。

(引用ここから)→
2日半前の厳島神社での余韻と興奮が、まだ持続しています。
しかし、今日(土曜)の夕方から今夜にかけてまたもやカクジツに興奮の坩堝(ルツボ)となりそうなイベントに参加する予定なので(しかも泊りがけ!)、今の内に書いておかないと・・・ということで、書きます。
題して「講演:厳島神社の年中行事について」
昨日の記事では、もっぱら厳かな大麻頒布の祭事と、そのあとの直会について、少々酔っ払い気分を引きずったノリで書いてしまいましたが、4日のイベントの中心は、むしろそれらに挟まれたおよそ1時間にわたる「研修=講演会」にあったのです。
→以下は、例によって「ヒゲしげ爺の・・・」
http://www.shigejee.jp/blog
に続けます。
写真の、「まな板」にも見えるフシギな台についても解説致します。
←(引用ここまで)

・・・とは申せ、このマジメな話題も、やはり「すっかり酔っ払ぉてしもぉて・・・」から始めることになります。実は講演会の席で配布された貴重な資料一式が入った「厳島神社」と銘の入った貴重な封筒を、「すっかり酔っ払ぉてしもぉて・・・」宴会場に忘れて帰ってしまったのです! 講演の記述の正確を図るには、どうしてもその資料と、私の(まだシラフの内にとった)克明なメモ書きが必要なのに。

昨日の昼、宴会場の「宮島・錦水館」に電話してみましたら「見当たらないようです」との、つれない返事。それで思い切って、いただいていた名刺を伝に厳島神社の若い禰宜さん(男性)に直接お電話して相談したところ、「いいですよ、ここに残っている資料を郵送いたしましょう。ただし神職用のものなので、おととい配布したものよりはかなり詳細に亘りますが」と、いとも簡単に快諾して下さった。「神職用の詳細版」とは、願ったりかなったり…いやあ、忘れ物はしてみるモンですな(笑) もっとも、「克明なメモ」の方はあきらめざるを得ませんが。

講演「厳島神社の年中行事」で各席を巡回して披露された「春日台」他所では使う三方の代わりに、ここではこれを使うのだとか。一見、おすしを乗せて出て来る台のような・・・。

講演「厳島神社の年中行事」で各席を巡回して披露された「春日台」他所では使う三方の代わりに、ここではこれを使うのだとか。一見、おすしを乗せて出て来る台のような・・・。

公演中に紹介された火を使った壮大な神事のひとコマ。詳細な説明は、資料が送られてきてから改めまして。

公演中に紹介された火を使った壮大な神事のひとコマ。詳細な説明は、資料が送られてきてから改めまして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

講演を拝聴する前、この演目から想像されたのは、実に地味な内容でした。6月の廿日市での「研修会」では、広島護国神社の宮司さんが、ずいぶんと勇ましい、いわば「今こそ国家神道の復活を!」と、まるで右翼の街宣車みたいなお話をされ、ずいぶん驚きもし、またかなりの方々が内心反発もされたのだが、この「年中行事」は、その対極にある「当たり障りのない」内容だな・・・と。

さて、拝聴してみますると・・・。

確かに政治的なことはまったく無かったし、ましてや「国家神道の復活を!」の気配さえ伺えなかったのだが、決して事前に予想したようなものではなく、厳島神社について、この自分が、如何にこれまでほぼ何も知らないできたか・・・と、まざまざと思い知らされる内容でした。

もっとも・・・講演に先立っての、主催者「広島県神社庁・佐伯大竹支部」の支部長からのご挨拶では、予め配布されていた「美しい日本の憲法をつくる国民の会」(共同代表 桜井よし子他2名)のチラシ(署名用紙付)について、各総代は署名を集めるように・・・との「強い要望」が発せられたりはしましたが(写真)。

(続く)

直会の会場で配布された「憲法改正を実現する1,000万人ネットワーク」のチラシ (https://kenpou1000.org/より)

直会の会場で配布された「憲法改正を実現する1,000万人ネットワーク」のチラシ (https://kenpou1000.org/より)

チラシの裏には署名用紙が

チラシの裏には署名用紙が

2015年11月6日 01:37:51 カテゴリ: 未分類

「まあ、そのスルドイ視線は、どうでもいいや、あとでなんとかなるサ・・・」
宴が盛りとなるにつれ、周囲から、またはお銚子を持って歩き回る厳島神社の若い禰宜さんたち(こちらは、全員男性)から、次から次へと酒を注がれるうちに、平素は小心者の私も次第に大胆になってきて、だんだんそんな気分になっていくから、酒というものはつくづくコワイものである。ある意味、大麻(マリファナの方)よりも怖いかもしれない。もちろん、私はそっちの大麻は見たことさえありませんが(阿蘭陀に旅行した日本人は、よく誘惑されるそうだ…と、かつて私の部下だった阿蘭陀人の若いニィちゃんが教えてくれました)

講演「厳島神社の年中行事」で各席を巡回して披露された「春日台」他所では使う三方の代わりに、ここではこれを使うのだとか。一見、おすしを乗せて出て来る台のような・・・。

講演「厳島神社の年中行事」で各席を巡回して披露された「春日台」他所では使う三方の代わりに、ここではこれを使うのだとか。一見、おすしを乗せて出て来る台のような・・・。

そんな中にも、必要なマジメな話はちゃんとしており、例えば、今進めている「八王神社」の来歴について、どの宮司さんに相談したらいいか・・・という情報の収集にもあたりました。ついに、最も相応しい情報をお持ちの宮司さんの名前に行き当たったのですが、あいにく今日はご欠席とのこと、後日改めて神社をお訪ねすることとなりました。
更に・・・厳島神社の若い禰宜さんを捕まえてかなり唐突に「昨今の神社庁は、戦前の国家神道の臭いを次第に復活させつつあるように感じるけど、どう思う?」と突っ込んでみたり(あいにく、それへの禰宜さんからの回答は「立場をわきまえた、当たり障りのない」もので、かなりガッカリでした。

宴たけなわ、いよいよこれから・・・という頃になって、突然「おい、いぬるで(帰るぞ)!」という大声がかかった。かなり離れたところに集まっていた、わが大森八幡の総代仲間の二人が、飛び離れたボクの席まで「迎えに来た」のである。「そぉやって、べっぴんさんといつまでもイチャイチャしよっつらぁ、おいてぬるで!」(イチャイチャしてたら、置いて帰るぞ!)と。やはり、案の定というか、最初から感じていた「冷たくスルドイ視線」は、最後まで持続してたのだった!しかも、先方さんも、かなりご酒を召していらっしゃるご様子。

事実は・・・くだんの若い女性禰宜さんたちとは、最初の挨拶以後はほとんど話をしておらず、もっぱら厳島神社の若い(男性)禰宜さんたちを相手にしていたのだけど、そう反論して治まる状況にない。「先入観」とは、けだし恐ろしいものである。

ある神社の禰宜さんは、めずらしく若い女性であった。

ある神社の禰宜さんは、めずらしく若い女性であった。

やっとなんとか「許されて」7名一緒に船着場から乗船し、宮島口まで出迎えて下さっていた我らの運転手さんに導かれて、一路我らの根城である大森八幡を目指したのであった。

50分足らずで到着、すぐ向かいにあるファミレス「団栗亭」で、改めて〆の会をやり、やっと解散したのは、すでに17時近くであった。
(完)

大森八幡の向かいにあるファミレス「団栗亭」こんなモノが並べてある。

大森八幡の向かいにあるファミレス「団栗亭」に、こんなモノが並べてある。