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1.イントロダクション
私の「チョー」のつく朝型は、一部の方が推測なさっているような「老人性」のものでは決してなく、「勉強」というものを本気で始めるきっかけとなった高3の受験生時代(17~18歳)から延々50年近くも続く「生活習慣」です。
当時、広島ではちょっと名の通った私立の男子校に在学していたのですが(幸いに今も、ちゃんと名は通ってますね)、「アイツは大して試験勉強もしないくせに、いつも成績はトップだ。特に数学は、入学以来満点以外とったことがないそうだ!」と、仲間の生徒たちからやっかみ半分で言われていました。この手の「やっかみ」にありがちな誇張(数学、たまには95点とかもとってましたよ)はさておきとして、一見「勉強してないのに」と思わせていたのは、毎晩夕食を済ませると、わりとすぐに床についていたからです。
複雑な家庭の事情によって、短大に進学してからやっと親や可愛い(?)弟と同居することになった、いつも夜更かしの4歳年上の姉からは「しげきゃあ、はあ寝とらぁや!試験の準備を手伝ってもらおうともぉとったのにぃ!」とアキレられてました。姉はというと、学校の試験の前には夜なべ(ときに徹夜)で勉強して、それでも成績はせいぜい中の上、一方弟の私は、「夜全く勉強せずに早くからグースカ寝てるのに、いつも成績はトップ」というのが、姉にとってはフシギを通り越して妬みの領域に達していたようです。
「シゲキやぁ天才なんじゃけぇ、しょーがなぁよ」とはき捨てるような姉のセリフは、実は大間違いで、実は、姉が全く知らない時刻、例えば午前3時~6時の間に、ヒソカにあくる日の(じゃなくて、当日ですね)のテストに備えていただけのことです。私子を「天才」などとはおよそ程遠い、ただただ努力の生徒だった・・・とは、両親さえ生涯知らなかった事実です。
つまり、その当時から「チョー朝型高校生」だったわけです。
「人が熟睡している早朝(深夜?)にこっそり勉強してテストでいい成績を取る」というのが、ある意味でのメリットだとすると、一方でのディメリットは、「夜(夕食後)のお付き合いが一切できない」ということで、これは、あれから50年近くを経た未だにひきずっている、大きな大きなディメリットであります。
でも、さすがに「社会人」となってから、「夜のお付き合いはナシでお願いね」では通らなくなり、予め「夜のお付き合い」が想定されるときには、日中、それこそ「万難を排して」昼寝をして備えていました。でも、社会人(サラリーマンでした)で、日中に昼寝・・・というのは、容易なことではありません。例えば、職場での直接の上司は、日中はさして仕事もせずに部下や仲間を捕まえてはダベっていて、アフター5になってから、やっと仕事に集中し始めるという、典型的な研究者のタイプでしたが、その上司が、アフター5にかかる頃になってから、よりにもよって「5時になったら、さっさと帰宅して、可愛い女房や坊や達と一緒に過ごして、早めの夕食を食べて早く寝たい」この若き研究者を捕まえて、延々と雑談を繰り広げられるのです。そして、およそ1時間余りにも渡るその雑談に適当に相槌を打って、やっと帰ろうとしますと、決まって「みっちゃん、いつもはよぉ帰るんやなぁ~、たまには残って仕事してくれへぇ~ん」と、独特の大和弁で悲しげにおっしゃるのでした。
どっこい、仕事はしてました。室長さんが昼間に仲間を捕まえて、さして研究に資するとも思えない、単なる息抜きの雑談をなさっている間にも、そして何よりも、恐らく室長はバクスイ中と思われる「午前3時から朝食までの数時間」にも。
・・・という次第です。幸い「研究」という仕事の性質上、それでも、人並みに「仕事」はできていたのですが、普通の会社員とかだったら、早晩クビになってたかと。
まあ、人並みに悩みましたよ。そこで、あるとき「なぜこの自分は、この社会で圧倒的な多数派である「夜型」に属しておらず、マイナーな「朝型人間」なのか・・・」ということをかなり、それこそ「研究」してみました。
そのような研究は当時(1970年代)ほとんどされておらず(今ではけっこうあります)、仕方なく独自に「研究」するしかありませんでした。
その結果、独自に到達した大胆な仮説というのは・・・(以下、続く)
以後の予定
2.本論
3.まとめ
4.引用文献(たぶん、省略)
とりあえずイントロダクションといったところでしょうか?
シューマンさま、コメントありがとうございます。久々のコメント、ウレシイです。
そうですね、まだ、ただのイントロですね、表題を直しときます。
「本論」またもや明日の早朝になりそうです、しばしお待ち下さい。