第1章 ーさごたにへー 05/01/21(金)<br><br>
1月21日、いよいよ引越しの朝を迎えてしまう。午前5時起床で最後の荷物整理。7時に引
越し屋さんが来て09:30にはトラック出発。自分自身は、管理人さんの査定を済ませ
た後10:30ころアパートを出て、新幹線でさごたにへと。広島へ向かうのぞみ号の中で
はひたすらバクスイ(実は前夜、最終電車ギリギリまで仲間とカラオケで盛り上がってました。信
じますか?)<br><br>
広島駅–>(山陽本線)五日市駅を経由して砂谷の我が家到着15時。もしやトラック
が先に着いてて待ってるのでは・・・と坂道を急いで登るが、トラックの姿はな
し。昨夜からの雪がうっすらと積もっていて、誰も歩くことのない、我が家の手前
50mからはクルマは滑って上がらないのでは・・・。<br><br>
大阪府高槻市にある引越しセンターに問い合わせると、目下「峠(とうげ)」という
地名の、文字通り峠道で雪のため渋滞しているとのこと。私が五日市から上がってきたバス
路線(通称、湯来線)には雪は全くないのに、わざわざ雪の多い「峠」を通って
いるんだ。トラックの遅い到着に備えるべく、隣の大上(おおうえ)家に照明を借りに行く。
牛舎から出てきたまことさんにそのことを告げると「ありゃあのぉ、ナビがのぉ、なし
てかしらん、あっちの道ゅぅ教えるけぇ、あがぁんなるんよ。あっちが国道(433
号線)になっとるけぇらしいんじゃが、わりぃことじゃてぇ」(標準語訳:あのな、ナビがどうしてか知らないがあっちの道を教えるから、あんなことになるんだよ。あっちが国道になっとるかららしいんだが、悪いことだよ。)と言いつつ、照明の他に雪かきスコップも貸して下さる。ほどなく、遅れていた
トラックが到着。案の定、家の手前約50mの急な坂道に入るとタイヤがスリップしてあがらず、乗ってきた若いに
いちゃんが必死でタイヤの前の雪かきに精を出す。その不慣れな手つきを見かね
たまことさん、「貸してみぃや」とスコップをすばやく奪い取るや、見事な手さばき。因
みにまことさん、今年71歳。その大先輩を馴れ馴れしくも「まことさん」と呼ぶのは、私の親戚(祖母の実家)だから。恐る恐る狭い坂道を登ってきたトラックは、案の定(?)我が家の手前であえなく田んぼに脱輪、田んぼの中はさらに深い雪なので、どうしても上がらない。そこへまことさん、車輪の直径2mはあろうかという、Ford製 の大型トラクターを持ってきて、その大型引越しトラックにワイアーをかけるや、あっさりと引っぱり上げてしまう。一堂、「おぉー!」。<br><br>
実は、この事件により、あるフラッシュバックが・・・
実は1976年、新婚ほやほや、運転免許も取立てほやほやの25歳の私、しげき青年は、
免許を取ったうれしさで、当時まだここで元気で暮らしていた祖父母(79歳と73
歳)を乗せてドライブすべく、帰広一番広島駅でレンタカーを借りて来て、やは
り同じ場所で見事に脱輪したのだった。小さめのセダンだったのに大人4人で引き揚げようとして
もびくともせず、その時、今回と同じようにまことさんがやってきて、やはり
大型トラクターで、いとも簡単に引き上げくれたのだった。おばあちゃんが涙
を流して、まるで礼拝するごとく、まことさんにお礼を言っていた光景が、29年たった今でもありありと目に浮かぶ。当時
まことさんはまだ42歳だったはず・・・そして当時この地で元気に百姓していた祖父母はとうに還浄(かんじょう、お浄土に迎えられること)。ついでながら・・・助手席におとなしくちょこんと座っていた新婚ほやほやの美しいお嫁さんも、今は・・・嗚呼。<br><br>
話を2005年1月21日に戻そう。
積み下ろし作業そのものは一時間近くで終わり、借りてきた照明も幸いに出番
なく。大型引越しトラックは、薄暗くなりかけた坂道を、再び大阪・高槻を目指して去っていった。もちろん、今度は「峠」なんか通らず、正しく県道42号を通るようにと、丁寧に指示して。<br><br>
さて・・・候は1月21日、大寒の翌日である。当地さごたに・伏谷郷集落は、広島市の中心から直線距離でわずかに20kmほどなのに、えらく寒いこと、雪深いことで有名な場所である。気象学的な理論値(断熱逓減率、またはadiabatic lapse rate・・・覚えてますか、気象学教室の同輩諸君?)では、広島市との気温差はせいぜい3度ほどのはずなのに、常に少なくとも6度は低いことを、地元の方々は体験上知っている。ついでながら、この「6度差」は夏でも眞なりです。つまり、広島が36度の灼熱でも、わが庵(いほり)はせいぜい30度、幼少のみぎり・・・外は半そでシャツ一枚でも、当時かやぶき屋根だった母屋に入るとひんやり・・・長袖を上から着ないと、それこそ「寒かった」のを覚えています。<br><br>
さて・・・その寒さの中、冷え切ったカラダを温めるもの、それは、昨年12月に一時帰郷した折にあらかじめ作動させておいた「3相200V 深夜電力利用電気温水器」(18年の眠りから見事復活!)と、あとは庭での焚き火・・・この二つだけである。<br><br>
片付け作業はすべて明日・・・と、まずはふとんだけ引っ張り出して、すぐに風呂につかり、そして飛び出してから布団に直行して、ひたすら自らのカラダを唯一の暖房器具として、ちじこまる。まだ夕方の6時前・・・でも、こうするしかサバイバルの道は無い。<br><br>
こうやって、わがさごたに帰郷・帰農生活の第一日目が暮れた。<br><br><br><br>
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