第2章 偶然の出会い頭~記念講演~パーティ
慌てて運転席に行き、日和山公園へは?と尋ねると、運転手さん、ためらうことなく「丸山町ですね」と、ひとこと。
表示しっぱなしにしていたケータイのMAPを見ると、丸山町では、ちと行き過ぎな気がする・・・でも、バスの運転手が断言するんだから従うか・・・と、おとなしく座席につき、ほどなく停まった丸山町で下車。
さあて、僕はどこいるんだ?と、バス停にある地図とMAPを眺め、さらにさきほどのSUUNTOに付属するスグレモノのコンパスも駆使して、緩やかな坂道を登り始めた。
ほどなく、浄水場が見えてきた。時代を感じさせるその広大な塀を撮影しようとケータイを取り出すと、なんと「電池不足で・・・」との表示。来しなの列車の中で退屈しのぎにメールやったり車窓の景色を写したりして消耗したのだった。センターに着いたら、昼食よりなにより真っ先に充電させてもらっとかなきゃ!
(だから、このあたり、写真がありませ~ん)
浄水場の長大な塀ををほとんどやり過ごして、いいよこのコーナーを曲がると目指すセンター・・・という地点までさしかかると、正面から大きなワゴン車が近づき、ボクの眼の前に停車する。中からは、今日の招待講演者であり、ぼくの広島学院時代の同級生・・・つまり、林先生の「教え子仲間」である、川本君(現・東京大学教授)が、あたかも、ここで会ったのは当たり前、最初から予定されていたこと・・・といわんばかりの自然さで、小雨にぬれながらとぼとぼと歩いていたぼくを拾い上げてくれる。
まさに、偶然の出会いがしらである。
(とりあえず、ここまで)
え~っと・・・この調子で書いてると、なかなか進まなくて、またもや「続く」で放り投げることになっても愛想つかされますので、以後、少々スピード上げますね。
その川本君ほか二人と、計4名で「唐戸市場」というところに行って、食事する。さすがに、大漁港下関の市場・・・実に壮観なものだったが、ここも、ケータイの電池切れで、残念ながら写真なし。
センターに戻ると(といっても、ボクにとっては、これが十数年ぶりの再訪第一歩だったのだが・・・)、先ほどの大型ワゴン車を運転してくださっていた方が、受付兼売店の中央に立っておられる。改めて名刺を交換して紹介しあうと、大城(おおき)さんとおっしゃるお医者様で、今日の出版記念パーティの主催者でいらっしゃるとのこと・・・あらためて恐縮することしきり。
早速、林神父様の著書「石が叫ぶ福音」を買い求める。友人からも一冊買って来て
・・・と頼まれていたのだが、あいにく現金がなくて、一冊しか求められなかった。
2階の大講義室(?)みたいなところで、記念講演が行われた。
最初、同級生の川本君から「パストラル・ケア」というテーマで、1964~66年の「恩師ー生徒時代・それに続く、主に最近の電子メールでの個人的やりとりを引用しつつ「林先生の人となりとパストラル・ケア」の話があった。交換メールは、主に川本君個人のものであったが、中には同じ同級生のほかの人とのもあった。先生と私の間の膨
大なメール(特に、バンコク時代=2000年前後=に、主に東チモール独立運動に関連して交わしたもの)も、一部提供しておけばよかった・・・と思ったが、時既に遅し。あれこそ、まさにpastoral care の典型とでもいうべきものだったのに。
続いて、いよいよ林先生ご自身による、まさに「独演会」。77歳というお歳とはとても思えぬ元気な張りのあるお声(と、しばしばご高齢の方に対して儀礼的に用いるけど、こ
れはそんなもんじゃない!)と、カメラマン泣かせ(実は、私自身がビデオカメラを回してた)の、ものすごい身振り手振り・・・で、1時間近くの「答礼講演」、一同息をつくヒマもなく・・・という感じだった。時折、私の名前を引用したり、はたまた「これ、タイ語でなんていうんだっけなぁ?」と逆質問されたりして、たじたじする一幕も。ちなみに、先生は英語はもちろんのこと、当
然ながらインドネシア語にご堪能、ついでに東チモールの現地語(何でしたっけ?)も・・ということです。
講演後、センターの関係者の方々(お名前、忘れました。ごめんなさい)から花束贈呈(写真:講演の間にこっそり充電しといたので、電池復活)
予定の15時をちょっと過ぎてから、1階の食堂で、立食パーティ。先生ご自身は、ご著書のサイン会に、一人ひとり言葉を添えて丁寧に書かれる
ので、なかなか食事ができず、我ら一同(特に、唐戸市場でトラフグの寿司一かんだけだった小生は)待ちきれずに食べ、かつ飲み始める。センターに集っていらっしゃるスタッフやボランティアの方々による、心づくしのご馳走を。
(続く) (ちっともスピード上がってませんなぁ・・・)