講演会(ハイパー・セミナー)の日取りを9・14(日)に決めた時点でうっかり見落としていたことは、このあとの「ハイパー・セミナー at 広島国際会議場 ―50%の失敗と、50%の大成功―」でも書くのだが、中でも大きな見落としは、この「しわいマラソン」と日にちが重なっていたことだった。
しわいマラソンは2010年に始まって、今年が第5回目。その内、2012年の一度だけを除いて、ほぼ毎回応援やら伴走やらで参加している。つまり、私にとって年に一度の重要な個人的イベントなのである。「来年こそは、自らランナーに・・・」との決意を新たにするのだが、未だに、ただの観戦・応援者、せいぜいバイクやチャリでの伴走をしているだけである。応援と言っても、個人的な知り合いが出走したことは、これまで一度もない。
それでも、できるだけ欠かしたくなかった。たとえ、午後からの大イベントである「ネクストモーション・ハイパーセミナー」での講演者の一人という大役を抱えていたとしても。
04:30、まだ真っ暗な中を愛車コペンで出発、
(今、書いている時刻も偶然に04:30、眠くなったんで、いったん中断、ひと眠りしてから再開します)
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一眠りしてたら、まる一日たってしまいました(笑)。現在17日午前4時半です。
続けます。
スタート/フィニッシュ地点の安芸太田町・温井(ぬくい)ダムに到着したのは、スタート直前の05:20。昨年までは、ダムの堰堤からのスタートだったのが、今年から上のフィニッシュ地点のすぐ近くまで変更されていた。選手諸君、スタートからいきなり、かなりきつい下りを堰堤まで駆け下りることになるのだ。
太鼓や花火(ヒヤ)が加わった華やかな雰囲気の中を数百名の選手たちがスタートしたのを見届けるや、すぐに愛車に戻り、最初の応援場所である10km地点(正確には9.7kmとか)に移動、すでに、警備の警察官の他に、応援者が数名。その中の1グループは、父親(見かけ70台)、娘、それに孫3人の家族だった。
「これの婿と・・・」と、その矍鑠(かくしゃく)とした老人(失礼!)が話しかけてこられた。
「もう一人の娘と、それに、バァさんが出とるんですよ。」
「えっ、ご家族から3人もですか?!」と驚いた。
その、少し複雑な家族関係は、こちらから再度問い返したほどだった。つまり、出走なさっているのは、そのご老人の奥様、娘、娘婿(別の娘のだんな)の3人で、ここでボクと一緒に応援に立っているのは、ご老人本人と、娘(出走している男性の妻)と、それぞれの娘の孫たち3人というわけです。まあ、読み返して理解なさろうとしなくていいです(笑)
改めて紹介するまでもなく、この、今年で5回目を迎える「しわいマラソン」、全長88キロ、しかも標高差854m、制限時間13時間(!)という、すでに全国的にも知られた、とてつもなく過酷な(「しわい」・・・地元の方言で「しんどい」という意味)レースなのである。その過酷なレースに、一家から3人も・・・と驚く私に対してそのご老人からさりげない一言。
「いや、私は、直前に脚のウラが痛くなりましてのぉ、仕方なく欠場になったんですよ。あ、ここに名前が載っとるんです」と、私の持っていた出走者リストを指差した。
この家族、タダモノでない。ちょっとこれから、Oさんという、ちょっと珍しい姓の3人のResultsを見てきますね、しばしお待ちを・・・。
見てきました。残念ながら、出走された3人ともDNF、つまり「途中棄権」でした。それでも、そのうちのお二人(お婿さんと、お母さん!)は、CP3(第3関門、62キロ地点)を、9時間を切っての通過タイムでした。しかもお母さん(おばあちゃん、「50歳以上」・・・ちなみに女性は、この「50歳以上」が最高年齢帯なのです。男性には「60歳以上」もあるのに・・・事務局さん、来年からご検討願いますね)のほうが「44歳以下」のお婿さんよりも、わずかながら速かったのです!オソルベシ、しわいのばぁちゃん!!!
・・・と言うぐあいに、個人的な知り合いが一人も出てなくても、そうやって応援地点で知り合った人たちと大いに盛り上がれるのが、この「しわい」の大きな特徴で、だからこそ、こうやってほぼ毎年欠かさず、たとえ午後から広島国際会議場での自らの講演を控えていようと、仮に万一、朝起きたら空からヤリが降っていようと、こうやってクルマを50分も飛ばして応援に駆けつけるのです。「いつかは、自分も走るんだ・・・」というヒソカな思いを抱きつつ。
(続く)