さごたに通信

2014年10月7日 02:51:45 カテゴリ: 未分類

今日の案内人「まことさん」の紹介も終えて、いよいよマコトさんご本人の登場、まずはご挨拶から。

ちなみに、この挨拶の文句はモチロンのこと、今日の案内について事前に相談して決めたのは「集合場所大森八幡から、かつての通学路の坂道を登って、八王神社まで」だけで、その後のコースを始め、すべてアドリブなんである。そもそも「まち歩き」なるもの、アドリブ(出たとこ勝負)でなくては、面白くないんである。

その挨拶の第一声、マコトさんは一体何から語り始めるのか・・・と、一同(付添い人である小生も)固唾を呑んでいると、まことさんは、何と「平和の尊さ」について語り、そして皆を、もと「砂谷小学校大森分校」であった敷地内に今も建っている二宮金次郎の石像に導き、そこで戦時中に受けた教育について批判的に紹介された。現在80歳になられるマコトさんがこの分校に入学されたのは、奇しくもパールハーバーの年(1941)であったことに、一同改めて気づかされる。

さて、いよいよ急坂登りへの出発である。そこで、ちょっとしたハプニング。ゲストの一人でいらっしゃる女優・モデルさんの足元を見たまことさんが、付添い人である小生に「この靴じゃぁ上がれんで、だれかに乗せてもろぉて先にやつぅさんとこで待っといてもらわにゃあ・・・」(翻訳、要りませんね?でも、広島以外の方には必要かな?)

やさしい。そして、きめ細かく気づく方である。さすがに我らのマコトさんである。

しかし、正直ちょっと困った。付添い人である小生が、その大役を引き受けて皆さんから離れるわけにもいかない。当然、みなの視線は、本日その女優さんをお連れ下さった「監督さん」に向いたのだが、問題は、そうしてしまうと、本日のメインコースである「大森八幡=往時の大森分校~八王神社」を、監督さんに体験していただけない。そこにわが委員会のメンバーである長老Fさんが、「ほいじゃぁ、ワシの軽トラでよけりゃあ、ワシが・・・」に対して、皆さんからの、ちょっとジェラシーの混じった視線が。すかさず、当の本人である女優さんの表情を伺った付添い人は、彼女がまるでためらった様子もなく、それを嫌がるような表情ひとつ見せなかったことを、目ざとく見取った。(この方はタダモノではない)と、心の中でつぶやいたのは、恐らくは小生一人ではあるまい。当然かもしれない、この方は「タダモノ」どころか、立派に「女優」さんなのだ。

ところが、Fさんは残念ながらこの集落の方ではないので、そこから徒歩で引き返す道をご存じない。もちろん、監督さんにもわからない。わかるのは、マコトさんと、この小生のみである。まるで「神父と黒ンぼの船頭(放送禁止用語ですが、あえてオリジナルを尊重します・・・笑)と猛獣(ライオン?)を1艘の小船で向こう岸に渡すパズル」の如く、ない智恵を絞った付添い人(つまり小生)は、「じゃあ、こうしましょう。監督さんの車に彼女(実際には実名を言った)を乗せて八王さんまで上がって、それに私も同乗させてもらって、彼女にはそこで(申し訳ないけど)待ってていただいて、私と監督さんは、今から上がる坂道を逆に下って、ここに戻ってきます。みなさんは、まことさんに付いて坂道を上がり始めていて下さい。」

その通りに実行された。その坂道を下った二人は、途中で残り5人と出会って、改めてその「かつての通学路」の草藪の急坂を登り、そして、彼女が一人寂しく待つ「やつぅさん」にたどり着いたのだった。彼女にそっと告げた約束の時刻よりも3分早かったことに、付添い人としては安堵したのであった。

(続く)

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