吉野妙先生に、最初に思い切って「共演」をお願いしたのが、忘れもしない9月4日、廿日市にある某総合病院の待合室からの電話でした。8月のお盆の最中に2泊3日の入院で手術した大腸ガンが完全に切除されているかどうかの結果を聞くために訪れていて、診察室に呼ばれるまでの長い時間を過ごしている最中でした。
「もし、まだ根っこの部分が残っていたら、レーザーメスでは取りきれないので、開腹手術ということもありますね。」と気楽におっしゃった担当医の言葉が頭に渦巻いていました…「まあ、最近では大腸ガンはほとんど治るガンですから」という言葉と共に。
「もし、開腹手術ということになり、そのあと余命があと…」なんてことになったら…と、まだまだ仏教的悟りの境地には程遠い俗人ですから、人並みに不安になるわけです。その不安の中の長い待ち時間の中で、やっと「吉野妙に共演をお願いする」という、実に思い切った決断をしたのは、多少は関連あることだと思います…たぶん。
そして、初の合わせの9月26日、ある意味でさらに思い切ってもうひとつのことをお願いしました。「10月12日のコンサートが終わったら、ピアノを教えて下さい。昔から弾きたかったある一曲だけ弾けるようになりたいのです。」妙先生は、即座にいいですよとお答えくださり、「11月にイタリアに行きますから、帰って来てから始めるのでいいですね?」むろん、いいですとお答えしたのはいうまでもありません。
そして、イタリアでの招待公演を成功させて無事に帰国されたあと最初にお目にかかったのが、先日11月22日の湯来体験交流センターでのチャリティコンサート。そこでの立ち話で、レッスン初日が本日11月28日と決まったのです。
さて、そうと決まると、数年間全く触れてももらえなかった哀れなクラビノーバ(ヤマハ製の電子ピアノ、15年前にバンコクで購入して船便で持ち帰った)を掃除して、今まで奥のじジメジメした部屋に置いてあったのを、晴れて(!)中2階の「貴賓室」に運び上げたのだった。意外に重くて、短い階段を持ち上げるのが容易なことでなく、Natural Mindのさこちゃん43歳に手伝ってもらって、ギリギリの状態でやっとこさ引張り上げた。早速電源を入れてみると、数年間の休止期間がウソのように見事に鳴ってくれた。
早速、お目当ての曲の楽譜(これまた数年間、全く見向きもされていなかった)を新たにコピーしなおしたり、それをいきなり弾くのは到底ムリだよなぁ~と、38年前に一度習った(けど、1年足らずで投げ出してしまった)ときの練習曲集を引っ張り出してみたり…あとは、初レッスンの28日までに少しは指慣らしをしとこう…と、Hanonのいっちゃん最初のとこを、ちょこっとさらって、その日はそれで一日を終えたのでありました。
そして、あくる日(27日)の早朝、起き出すや早速いそいそと貴賓室に上がって電源を入れると…ありゃりゃ、電源が入らないのです。メインのランプは点灯するので、コンセントがはずれてるとかそういう単純なことではありません。きのう最初に電源を入れたときも、数秒間かかったから…と、しばらく待ってみましたが、数秒どころか数分間たっても、いっこうに立ち上がりません。
いったい、なんたる事態!それでも、ひょっとして「奇跡」が起こるかも・・・と、電源を入れたまま(ランプだけついてる)、早朝テニスレッスンのために0820には家を出たのでした。
そして午後戻ってみて、早速貴賓室に駆け上がると・・・奇跡は起こってませんでした。
すぐに電話帳を調べて広島のヤマハに電話をしたところ『明日中には修理担当のものから連絡させるから』という回答でした。
いずれにせよ、今朝は初レッスンです。私の方が「スペース蘂」を訪ねてそこでやっていただくので、我が家のクラヴィノーバに奇跡が起ころうが、起こるまいが、全く関係ありません。
その前に、これから軽く2キロほど走ってきます。