先日恐羅漢への登山路で偶然に出会った「広島山陵会」会長の廣田さんからのお誘いを受けて、今日の登山道(実際にはトレッキング・ルート)整備への参加を約束した。ところが、あとで予定をチェックすると、この日はかつての塾での教え子達がたくさん入学している、広島女学院中・高の文化祭の日なのであった!
どちらも行きたいしなぁ…と数日間悶々としたあげく「えいっ、両立させたろじゃないか!」と決めたのはおとといのことであった。
当初は、「先に女学院、そのあとで恐羅漢へ」と考え、廣田会長にもそのようにお伝えしていたのだが、前夜の天気予報で、「晴れのち雨」と変わったので、それを逆にした。
早朝7時に出発、先日恐羅漢に行ったときと同じく内黒峠越えルート約46キロを80分間で到着。集合時刻よりかなり早く着いたのにもかかわらず、すでにスキー場の広い駐車場は老若男女の参加者であふれていた。(もっとも「若」と「女」の組み合わせはほぼゼロではありましたが・・・笑)
まもなく、山陵会が所有するという山小屋から廣田会長が現れ、手短で要領のいいご挨拶のあと、2班に分かれてそれぞれの車で作業現場へと向かう。私自身は、「早抜け」ということもあってか、どちらの班にも属さず、会長と二人だけで行動させていただくことに。他の班とは反対側の横川(よこごう、名勝・三段峡の一番奥の、さらに奥です)にかつてあった分校の跡地に向かう。途中、その山陵会の小屋にわざわざ立ち寄ってご案内下さいました。そこでは、昨夜の内から何人かの幹部(?)がお泊りになっていて、そこで酒宴と自然発生的なコンサートが行われたんだと!
昨夜のその時刻と言えば、ちょうとボクは本通りの「一楽章 f 未完成」にてゆーこりんと中矢さん親子によるコンサートを聴いていた頃であった。「次回は、ぜひとも前夜から出て酒宴もコンサートも参加したいので、お招きください。」とお願いすると、「ぜひぜひ!じゃあ、年に1回しかやってないのを春秋の2回に増やすかなぁ~」と、もう一人の気のよさそうなオジサンと一緒に答えてくださった。そのオジサンから「何か楽器ができますか?」と尋ねられたので、ためらいがちに「横笛なら少々・・・」と答えておいた。「横笛かあ、ええですのぉ~! じゃ、山の歌は知っとって?」に対しては「得意中の得意です」とも。
会長さんの車に随行すること約10分で、めざす横川(よこごう)小学校の分校跡地に着く。二人とも草刈り機を取り出して、登り口の草刈りを始めるが、すでにかなり整備は進んでいて、草刈り機は一台で十分ということになり、私は一旦車に戻って草刈り機を置き、かわりに山鍬(やまぐわ、登山道の整備など、かなりハードな作業に適した頑丈な鍬)をかつぎ、ついでにノコギリとノコギリ鎌を腰に装着して現場に戻る。どこまで行っても既に整備はかなり進んでいて傾斜もゆるやかな快適な山道を、めざす「ヨビヤ峠」に向かう。尚、ヨビヤという珍しい名称は、その昔この峠にある岩で峠の両側からお互いに呼び交わして、「呼び岩」と言われ、それが変化してヨビヤとなった・・・と、最初の挨拶のときに地元の山荘経営者の方(かつて国体のスキー競技でならしたとか…)がご説明になっていました)この田代集落(今は廃集落に)から分校への峠道は、かつて田代集落の子供達が、片道1時間半かけて通った、分校への通学路だったとか!
峠までおよそ30分の道を歩き、到着するや廣田会長、「お~い!」と、かなりの美声で呼ばれると、遥かかなたから、「お~い」と、女性の声が返ってきた。そして、私も加わって何度も、それこそ「呼び交わして」いるうちに、その返事はだんだん近づいて、ついに峠での合流となった。10人くらいのグループ。ここで、せっかく合流した皆さんともっと時を共有し、作業も手伝い気持ちはいやが上にも増したが、女学院で「○○先生」(ボクの塾でのニックネーム)を待ってくれているだろう(?)かわいい教え子達の顔が浮かび、ここで思い切って離脱し、ただ一人来た道を降りて分校跡へと向かったのであった。
別れ際に廣田会長が、ボクのスマホカメラで写してくださった記念撮影の一枚である。
(前編ここまで。後編に続く)